シカゴあれこれ
ブライダル・シャワー
甥のスティーブンが結婚することになった。6月2日にメキシコのロス・カボスというリゾートで結婚式をあげるそうだ。花嫁さんの名前はアマンダという素敵な女の子。娘のエルサがその花嫁さんのためにブライダル・シャワーをしてあげた。普通は、ブライドメイド・オブ・アーナーがしてあげるのだが、アマンダのメイド・オブ・アーナーは別な州に住んでいるためできなかった。
Hirokoの教会のシャワーでは、みなが昼食を持ち寄り、ゲームをしたりしてお祝いしてあげる。またシャワーは結婚式に招待した人を対象にするのが普通。でもアマンダの場合は、結婚式はメキシコなので式に出席する人は少ないし、スティーブンの家族はそれぞれ遠い州外にいるので来れない。でもシャワーの出席者は20名とのこと。誰が来るのだろう。それでエルサもいろいろ考えて、持ち寄りはできない、自分は料理をするのは面倒というわけで、ケータリングを頼んだ。ショッピング、デコレーションなどに使う時間がもったいないので、ケータリングから人を頼み、全部、食べ物、飲み物、テーブルセット、そして食事のサーブ、後片付けもしてもらうことにした。お金を出せばこれら全部買えるのだから凄い。時間はお金では買えないという訳かな。Hirokoには考えられないことだ。
20名の昼食くらいHirokoにはできるけど、何とシャワーの日がラスベガスから帰った次の日。金曜日の夜遅く帰り、土曜日の朝は教会のお掃除、そして11時にはシャワーがはじまるのだから9時半には出かけるということで何にもする時間がなかった。でも良かった。エルサがこれだけのことを従兄弟のスティーブンにしてあげられ、Hirokoはエルサの凄い働きをあれよ、あれよと見て、感心することができたから。
さてと、シャワーの当日。

シャワーが行われるスティーブンの家に早く着き、ケータリングの人が来るまでの時間、猫と戯れているエルサ。

ケータリングの自動車らしいよと、待ちつかれて外に出たリサ。ケータリングの自動車が来たよ。

エルサも出て行き、ケータリングの人を手伝ってあげて、荷物を運ぶパレード

これがケータリングから来た人 と カバーのしてある食事



ケータリングから来た昼食。サーモンとベーゴにチーズ、フルーツと野菜のトレイがそれぞれ一つづつ、2種類のサンドイッチ。それにドリンクはコーヒー、水、ソーダ、そしてシャンペン。
食べ物が足りなかったらどうしようと考え、心配したエルサ。人が考え心配することのむなしさ。


カリフォルニアにいるシスターインローとなる人からの花束のプレゼント

みんな美味しい、美味しいといって昼食を楽しんだ。Hirokoも食べるのに忙しく、写真をたくさん撮らなかった。


アマンダと従姉妹インローとなるリサとエルサ アマンダの友達のプロフェショナル写真家

今日のプレゼントの一部

ゲームの賞品 と パーティーフェバー(記念品)の一部




ゲームのはじまり。アマンダについての質問が書いてある紙が渡された。あなたはアマンダのことをどれだけ知っている?アマンダのミドルネームは?アマンダの好きな色は?などなど。


はーい、一番の人にはこれ。わー、私が一番。






はい、いよいよオーブンプレゼント。何一つとして同じものはなかった。何故なら、これは商法の一つでしょうね。ブライドは、自分の好きな二、三軒のデパートに行って、ブライド用欲しいものリストを作る。そのリストをシャワーにご招待のレターに入れる。シャワーに来る殆どの人が、そのリストに従って買い物をするのだから同じものがないわけ。でも中にはそのリストに従わないで買ってくる人もいる。このシャワーでは、ロシアから来た人が暖かそうなロシア製の素敵なひざ掛け、日本から帰ったばかりで時差ボケでシャワーのことを忘れた人の現金、現金はいつでもいいものね。Hirokoの手製のレースのテーブル・クロスと現金などとがリストにないもの。


プレゼントを包んであるリボンで花輪を作る。その日はその花輪を冠に見立て、シャワーの女王さま。この花輪は結婚式前日に行われる予行式で使う。

もう一つ、リボンを切ったら早く子供ができ、切った数だけの子供ができるとも言われている。子供の欲しいアマンダは一生懸命リボンを千切っていた。



まだ時間もあるし、賞品も残っているから、もう一つゲームをしよう。今度は何か書いてある紙が渡される。そこに書いてあることが真実かどうか、アマンダにパントマイムで質問して是非を決める。いろいろアマンダのことが分かって良いゲームだった。エルサがこの二つのゲームを考えたそうだ。質問はスティーブンの助けがあったらしい。
賞品とパーティー・フェーバー(記念品、引出物)を忘れないでもらって行ってくださいよ。
さようなら。またね。

やれやれ、終わった。大変だったね。ありがとう!素晴らしいシャワーだったよ。食事が最高。後片付けも終わり、何もすることがなく、いいシャワーだった。
今の日本の若い人たちはシャワーをするのでしょうか。Hirokoがシカゴではじめてシャワーに出席したとき、何と合理的なプレゼントの仕方だろうって感心した。特にベビーシャワーは、お母さんとなる人には必要な行事と思われる。日本ではどうでしょうね、このシャワーのアイデアは。
Hirokoの教会のシャワーでは、みなが昼食を持ち寄り、ゲームをしたりしてお祝いしてあげる。またシャワーは結婚式に招待した人を対象にするのが普通。でもアマンダの場合は、結婚式はメキシコなので式に出席する人は少ないし、スティーブンの家族はそれぞれ遠い州外にいるので来れない。でもシャワーの出席者は20名とのこと。誰が来るのだろう。それでエルサもいろいろ考えて、持ち寄りはできない、自分は料理をするのは面倒というわけで、ケータリングを頼んだ。ショッピング、デコレーションなどに使う時間がもったいないので、ケータリングから人を頼み、全部、食べ物、飲み物、テーブルセット、そして食事のサーブ、後片付けもしてもらうことにした。お金を出せばこれら全部買えるのだから凄い。時間はお金では買えないという訳かな。Hirokoには考えられないことだ。
20名の昼食くらいHirokoにはできるけど、何とシャワーの日がラスベガスから帰った次の日。金曜日の夜遅く帰り、土曜日の朝は教会のお掃除、そして11時にはシャワーがはじまるのだから9時半には出かけるということで何にもする時間がなかった。でも良かった。エルサがこれだけのことを従兄弟のスティーブンにしてあげられ、Hirokoはエルサの凄い働きをあれよ、あれよと見て、感心することができたから。
さてと、シャワーの当日。

シャワーが行われるスティーブンの家に早く着き、ケータリングの人が来るまでの時間、猫と戯れているエルサ。

ケータリングの自動車らしいよと、待ちつかれて外に出たリサ。ケータリングの自動車が来たよ。

エルサも出て行き、ケータリングの人を手伝ってあげて、荷物を運ぶパレード

これがケータリングから来た人 と カバーのしてある食事



ケータリングから来た昼食。サーモンとベーゴにチーズ、フルーツと野菜のトレイがそれぞれ一つづつ、2種類のサンドイッチ。それにドリンクはコーヒー、水、ソーダ、そしてシャンペン。
食べ物が足りなかったらどうしようと考え、心配したエルサ。人が考え心配することのむなしさ。


カリフォルニアにいるシスターインローとなる人からの花束のプレゼント

みんな美味しい、美味しいといって昼食を楽しんだ。Hirokoも食べるのに忙しく、写真をたくさん撮らなかった。


アマンダと従姉妹インローとなるリサとエルサ アマンダの友達のプロフェショナル写真家

今日のプレゼントの一部

ゲームの賞品 と パーティーフェバー(記念品)の一部




ゲームのはじまり。アマンダについての質問が書いてある紙が渡された。あなたはアマンダのことをどれだけ知っている?アマンダのミドルネームは?アマンダの好きな色は?などなど。


はーい、一番の人にはこれ。わー、私が一番。






はい、いよいよオーブンプレゼント。何一つとして同じものはなかった。何故なら、これは商法の一つでしょうね。ブライドは、自分の好きな二、三軒のデパートに行って、ブライド用欲しいものリストを作る。そのリストをシャワーにご招待のレターに入れる。シャワーに来る殆どの人が、そのリストに従って買い物をするのだから同じものがないわけ。でも中にはそのリストに従わないで買ってくる人もいる。このシャワーでは、ロシアから来た人が暖かそうなロシア製の素敵なひざ掛け、日本から帰ったばかりで時差ボケでシャワーのことを忘れた人の現金、現金はいつでもいいものね。Hirokoの手製のレースのテーブル・クロスと現金などとがリストにないもの。


プレゼントを包んであるリボンで花輪を作る。その日はその花輪を冠に見立て、シャワーの女王さま。この花輪は結婚式前日に行われる予行式で使う。

もう一つ、リボンを切ったら早く子供ができ、切った数だけの子供ができるとも言われている。子供の欲しいアマンダは一生懸命リボンを千切っていた。



まだ時間もあるし、賞品も残っているから、もう一つゲームをしよう。今度は何か書いてある紙が渡される。そこに書いてあることが真実かどうか、アマンダにパントマイムで質問して是非を決める。いろいろアマンダのことが分かって良いゲームだった。エルサがこの二つのゲームを考えたそうだ。質問はスティーブンの助けがあったらしい。
賞品とパーティー・フェーバー(記念品、引出物)を忘れないでもらって行ってくださいよ。
さようなら。またね。

やれやれ、終わった。大変だったね。ありがとう!素晴らしいシャワーだったよ。食事が最高。後片付けも終わり、何もすることがなく、いいシャワーだった。
今の日本の若い人たちはシャワーをするのでしょうか。Hirokoがシカゴではじめてシャワーに出席したとき、何と合理的なプレゼントの仕方だろうって感心した。特にベビーシャワーは、お母さんとなる人には必要な行事と思われる。日本ではどうでしょうね、このシャワーのアイデアは。
ガーデン
胡瓜の種床
今年のシカゴは暖かいけど、4月の中旬だし、いろいろ考えて早めに種床を作ることにした。今年の胡瓜の種はHiroko自家製の種なので、芽が出るかどうか心細いから。インターネットを見ていたら、紙でできている卵のケースを種床に使用すると便利とあったので、そのアイデアをいただいて、胡瓜の種床を作った。

これが紙でできている1ダースの卵の入れ物。
それに土を入れて、その下にはプラスチックでできている卵の入れ物を使い、水が溜まっているようにした。

これがその写真。一週間ラスベガスへ行く前に作ったので、その間は水があげられないのが心配で、いろいろな人に相談したところ、プラスチックのカバーをかけておけば水分の蒸発が少ないそうなので、そのようにして出かけた。
ところが5泊6日、ラスベガスで過ごし、夜遅く帰ってきて見たら。。。


なんと全部が芽が出ていて、もやしのようになっている。これでは可哀想。3週間はかかると思ったし、芽が出ないかもしれないと懸念したのは無駄だった。
人が思ったり、懸念したりすることは本当に無駄なことばかり。聖書にもそのようにかいてあるのに。
箴言16章9節
人は心に自分の道を考え計る、しかし、その歩みを導く者は主である。
帰ってから二日間は忙しくて、可哀想と思って横目で見ていたが何もしてあげられなかった。


三日目にやっと少し大きめの鉢に植えて上げられた。リスにいたずらされたり、食べられたりしないように、いろいろ工夫した。
日本胡瓜を欲しい人がたくさんいるので、今度の土曜日と日曜日にみんな配りましょう。
さて2012年の胡瓜はどうなるか。楽しみ。

これが紙でできている1ダースの卵の入れ物。
それに土を入れて、その下にはプラスチックでできている卵の入れ物を使い、水が溜まっているようにした。

これがその写真。一週間ラスベガスへ行く前に作ったので、その間は水があげられないのが心配で、いろいろな人に相談したところ、プラスチックのカバーをかけておけば水分の蒸発が少ないそうなので、そのようにして出かけた。
ところが5泊6日、ラスベガスで過ごし、夜遅く帰ってきて見たら。。。


なんと全部が芽が出ていて、もやしのようになっている。これでは可哀想。3週間はかかると思ったし、芽が出ないかもしれないと懸念したのは無駄だった。
人が思ったり、懸念したりすることは本当に無駄なことばかり。聖書にもそのようにかいてあるのに。
箴言16章9節
人は心に自分の道を考え計る、しかし、その歩みを導く者は主である。
帰ってから二日間は忙しくて、可哀想と思って横目で見ていたが何もしてあげられなかった。


三日目にやっと少し大きめの鉢に植えて上げられた。リスにいたずらされたり、食べられたりしないように、いろいろ工夫した。
日本胡瓜を欲しい人がたくさんいるので、今度の土曜日と日曜日にみんな配りましょう。
さて2012年の胡瓜はどうなるか。楽しみ。
旅日記
ラスベガスへまた行ってきました 2012年
旦さんの伯父さんたち、マイク伯父さんとジミー伯父さんが、また日系二世部隊442の集まりがあるとのことで、出かけることにした。それにマイク伯父さん(93歳)が、去年の10月に奥さんを亡くしたので会って弔辞を言いたいし、その後どうしているかも知りたいから行くことにした。
車のことが片付いたのが14日の土曜日、次の日の15日の夜に出発した。感謝!
次の日は、まず伯父さんたちに会いにでかけた。

ポーカーマシンに座っている二人の伯父さんたち。
マイク伯父さんは勝った、勝ったと喜んでいたけど、ジミー伯父さんは負けた、負けたと言っていた。
それからおなじみのバフェーへ。美味しいものがいっぱい。食べ過ぎないようにきをつけて。バフェーで撮った写真

ジミー伯父さんの奥さんアリス伯母さんと義弟哲ちゃん、伯母さんと義妹冴さん、

マイク伯父さんの娘ジェニス

哲ちゃん、冴さん夫妻、
バフェーで撮った写真に伯父さんたちが入ってない。きっと食べるのもそこそこでマシンに行ったのだろう。ジェニスが毎日来て来れるからと伯父さんが感謝していたが、Janice本当に伯父さんのことを何でもよく知っていて、自分はパパの子だからと言って、まめに面倒を見ていた。
バフェーにそんなに長くもいられないからと、伯父さんたちに挨拶して、ジミー伯父さんたちが宿泊しているホテルに、伯母さんと一緒に行った。


その途中、ダウンタウンと呼ばれている街の中を歩いた。アーテストたちがたくさんいた。カメラを向けたらポーズしてくれる人もいるが、ある人はそっぽを向いてしまった。きっとお金をもらえそうもないと思ったのかな。
ここの一つのホテルからこの壮大なカシノの街ができたのだ。夜になるとここの天井に光のページェントが見られる。
伯父さんたちが泊まっているホテルには、昔、Frank Sinatra他の俳優たちがいつも来ていたそうだ。

ホテルのカシノ側の入り口
歩き疲れちゃった。

ホテルのプールの傍で日光浴。
このホテルのバフェーで夕食をご馳走になった。負けた、負けたと言っていたのにジミー伯父さんに全部払ってもらってご馳走になってしまった。これで442部隊の集まりもないかもしれないとのことなので、今度はいつ会えるか分からないので、その日は一日ダウンダウンで過ごした。夜の天井のページェントの始まる時間とのことでバフェーを出た。



これが夜の天井のページェント
伯父さんたちが帰る日の朝ご飯を一緒にすることを約束して別れた。
次の日17日はレーク・ラスベガスの見物に。その前に劇場の割引券をもらうために朝早くから集会にでかけた。

正面玄関

レーク・ラスベガスの側で


レーク・ラスベガスの傍にあるホテルの一つに入り、そこで写真を撮った。これだけ大きいレーク・ラスベガスは人工湖だそうだ。どこから水が来るのだろうか。
夕食は哲ちゃんが持っていた割引券のあるメキシコ食にした。写真を撮るのを忘れた。二、三年まえにもここのレストランでやはり割引券を使って食べたが、冴さんとHirokoが飲んだテキーラの入っているメキシコのお酒の値段のほうが、四人の夕食より高かったのを思い出して笑いあった。
劇場のあるホテル・ラクソーへ行き、ショーが始まるまでマシンに座った。前の日はおしゃべりに忙しく賭け事は何もしなかった。そうそう哲ちゃんと旦さんはやったらしい。哲ちゃんは90ドルも勝ったと言って喜んでいた。
劇場へ。

暗くてよく撮れないのは分かっていたけど、写真を撮ってもよいと言うので撮ってみた。ここではマジックとイルージョンのショーを見た。いろいろ不思議なことが起こった。
次の日18日は、前にも行ったことがあるRed Rock Canyonとその近くにある動物園へ。

車の中から撮ったRed Rock。被写体が動かなければ車の中から撮っても結構撮れることにびっくり。ラスベガスから帰って甥の奥さんになる人、アマンダのWedding Showerに行って写真をたくさん撮ったが、半分以上ぶれた写真だった。被写体が動いていると写真がぶれることが分かった。何とかよい方法はないのだろうか。


次は動物園。ここの動物園にはライオンやタイガーなどはいなかったが、美しい尾のピーコックやバファロー、馬、亀、ニワトリなどがいた。ここでは一時間50ドルで馬に乗って渓谷の中を歩かしてくれるそうだ。
その日の注即はDown Townへ。Town Townにはハワイの人たちがたくさんくるので、ハワイの人たちに喜ばれる食べ物がたくさんある。その中の一つにラーメンとは言わないけど、ラーメンのような美味しいおそばのお店があるので、そこで昼食をすることにした。そこはMike伯父さん、Jimmy伯父さんがいつも座っているところなので、また二人に合えるだろうと思ったけど、Mike伯父さんには会えたけど、Jimmy伯父さんは442部隊の集まりが一日あるとのことで会えなかった。

Mike伯父さんとJaniceと一緒に写真が撮れた。
驚かされたテクノロジー。JaniceのI-phoneでこの写真は撮ったのだが、JaniceがHiroko、あなたのCel Phoneナンバーは何かというのであげたら、1分も経たないうちにちゃんとHirokoのCel Phoneにこれらの写真が入っていた。びっくり!
その日の夜は、哲ちゃんたち夫妻のタイムシェアーの隣にあるカシノ、South Portに出かけることにした、はじめの日に勝ったと言っていた哲ちゃんも、冴さんも、旦さんも、勿論Hirokoも、みんな負けてしまった。Hirokoはいつもはポーカーをよくやるのだが、その夜はいろんなマシンをやって楽しんだ分、負けてもしょうがないでしょう。旦さんがシカゴではカシノに行かないのだし、楽しもう、楽しもうと言うのでそれもそうかと思って、いつもはやらないマシンをやってみた。勝ったり、負けたり、最後は結局負けてしまった。
次の日19日。木曜日になってしまった。Jimmy伯父さんたち、哲ちゃんと冴さんも帰る予定。8時にまたDown TownでJimmy伯父さんとAlice伯母さんに会って朝食。442部隊の集まりには200人が出席したとのこと。でもそのうち日系二世として戦った兵士は18名だったそうだ。でも子供や孫たちがこの集まりを続けたいとのことで、来年もまたこの集まりがあるそうだ。
さて、みんなが帰ったあと、旦さんと二人でゆっくりカシノに行った。でもカシノだけでなく泊まっている部屋には。ジュクジがあり、そこで温泉ではないけどジュクジに入って、痛い首や腰をゆっくりと水でマッサージしてもらった。それにエクササイズのルームもあり、次に来たときのためにと調べたりした。きっとよい運動ができるでしょう。二人だけでゆっくりとカシノに行ったら、負けなかった。
そうそう、外のジュクジに入ったとき、一緒にいた人が帰ったら膝の手術をしなければならないのだといったので、その人のために祈ってあげた。どんなバックグランドの人が知らないが、カナダから来た人で、イエスさまに手術のことお祈りしてあげましょうかと言ったら、お願いしますというのでそういうことになった。
伯父さん、伯母さん、Janiceに会え、哲ちゃん、冴さんとも一緒に過ごすことができたこと、本当に感謝!
楽しいときをありがとうございました。
車のことが片付いたのが14日の土曜日、次の日の15日の夜に出発した。感謝!
次の日は、まず伯父さんたちに会いにでかけた。

ポーカーマシンに座っている二人の伯父さんたち。
マイク伯父さんは勝った、勝ったと喜んでいたけど、ジミー伯父さんは負けた、負けたと言っていた。
それからおなじみのバフェーへ。美味しいものがいっぱい。食べ過ぎないようにきをつけて。バフェーで撮った写真

ジミー伯父さんの奥さんアリス伯母さんと義弟哲ちゃん、伯母さんと義妹冴さん、

マイク伯父さんの娘ジェニス

哲ちゃん、冴さん夫妻、
バフェーで撮った写真に伯父さんたちが入ってない。きっと食べるのもそこそこでマシンに行ったのだろう。ジェニスが毎日来て来れるからと伯父さんが感謝していたが、Janice本当に伯父さんのことを何でもよく知っていて、自分はパパの子だからと言って、まめに面倒を見ていた。
バフェーにそんなに長くもいられないからと、伯父さんたちに挨拶して、ジミー伯父さんたちが宿泊しているホテルに、伯母さんと一緒に行った。


その途中、ダウンタウンと呼ばれている街の中を歩いた。アーテストたちがたくさんいた。カメラを向けたらポーズしてくれる人もいるが、ある人はそっぽを向いてしまった。きっとお金をもらえそうもないと思ったのかな。
ここの一つのホテルからこの壮大なカシノの街ができたのだ。夜になるとここの天井に光のページェントが見られる。
伯父さんたちが泊まっているホテルには、昔、Frank Sinatra他の俳優たちがいつも来ていたそうだ。

ホテルのカシノ側の入り口
歩き疲れちゃった。

ホテルのプールの傍で日光浴。
このホテルのバフェーで夕食をご馳走になった。負けた、負けたと言っていたのにジミー伯父さんに全部払ってもらってご馳走になってしまった。これで442部隊の集まりもないかもしれないとのことなので、今度はいつ会えるか分からないので、その日は一日ダウンダウンで過ごした。夜の天井のページェントの始まる時間とのことでバフェーを出た。



これが夜の天井のページェント
伯父さんたちが帰る日の朝ご飯を一緒にすることを約束して別れた。
次の日17日はレーク・ラスベガスの見物に。その前に劇場の割引券をもらうために朝早くから集会にでかけた。

正面玄関

レーク・ラスベガスの側で


レーク・ラスベガスの傍にあるホテルの一つに入り、そこで写真を撮った。これだけ大きいレーク・ラスベガスは人工湖だそうだ。どこから水が来るのだろうか。
夕食は哲ちゃんが持っていた割引券のあるメキシコ食にした。写真を撮るのを忘れた。二、三年まえにもここのレストランでやはり割引券を使って食べたが、冴さんとHirokoが飲んだテキーラの入っているメキシコのお酒の値段のほうが、四人の夕食より高かったのを思い出して笑いあった。
劇場のあるホテル・ラクソーへ行き、ショーが始まるまでマシンに座った。前の日はおしゃべりに忙しく賭け事は何もしなかった。そうそう哲ちゃんと旦さんはやったらしい。哲ちゃんは90ドルも勝ったと言って喜んでいた。
劇場へ。

暗くてよく撮れないのは分かっていたけど、写真を撮ってもよいと言うので撮ってみた。ここではマジックとイルージョンのショーを見た。いろいろ不思議なことが起こった。
次の日18日は、前にも行ったことがあるRed Rock Canyonとその近くにある動物園へ。

車の中から撮ったRed Rock。被写体が動かなければ車の中から撮っても結構撮れることにびっくり。ラスベガスから帰って甥の奥さんになる人、アマンダのWedding Showerに行って写真をたくさん撮ったが、半分以上ぶれた写真だった。被写体が動いていると写真がぶれることが分かった。何とかよい方法はないのだろうか。


次は動物園。ここの動物園にはライオンやタイガーなどはいなかったが、美しい尾のピーコックやバファロー、馬、亀、ニワトリなどがいた。ここでは一時間50ドルで馬に乗って渓谷の中を歩かしてくれるそうだ。
その日の注即はDown Townへ。Town Townにはハワイの人たちがたくさんくるので、ハワイの人たちに喜ばれる食べ物がたくさんある。その中の一つにラーメンとは言わないけど、ラーメンのような美味しいおそばのお店があるので、そこで昼食をすることにした。そこはMike伯父さん、Jimmy伯父さんがいつも座っているところなので、また二人に合えるだろうと思ったけど、Mike伯父さんには会えたけど、Jimmy伯父さんは442部隊の集まりが一日あるとのことで会えなかった。

Mike伯父さんとJaniceと一緒に写真が撮れた。
驚かされたテクノロジー。JaniceのI-phoneでこの写真は撮ったのだが、JaniceがHiroko、あなたのCel Phoneナンバーは何かというのであげたら、1分も経たないうちにちゃんとHirokoのCel Phoneにこれらの写真が入っていた。びっくり!
その日の夜は、哲ちゃんたち夫妻のタイムシェアーの隣にあるカシノ、South Portに出かけることにした、はじめの日に勝ったと言っていた哲ちゃんも、冴さんも、旦さんも、勿論Hirokoも、みんな負けてしまった。Hirokoはいつもはポーカーをよくやるのだが、その夜はいろんなマシンをやって楽しんだ分、負けてもしょうがないでしょう。旦さんがシカゴではカシノに行かないのだし、楽しもう、楽しもうと言うのでそれもそうかと思って、いつもはやらないマシンをやってみた。勝ったり、負けたり、最後は結局負けてしまった。
次の日19日。木曜日になってしまった。Jimmy伯父さんたち、哲ちゃんと冴さんも帰る予定。8時にまたDown TownでJimmy伯父さんとAlice伯母さんに会って朝食。442部隊の集まりには200人が出席したとのこと。でもそのうち日系二世として戦った兵士は18名だったそうだ。でも子供や孫たちがこの集まりを続けたいとのことで、来年もまたこの集まりがあるそうだ。
さて、みんなが帰ったあと、旦さんと二人でゆっくりカシノに行った。でもカシノだけでなく泊まっている部屋には。ジュクジがあり、そこで温泉ではないけどジュクジに入って、痛い首や腰をゆっくりと水でマッサージしてもらった。それにエクササイズのルームもあり、次に来たときのためにと調べたりした。きっとよい運動ができるでしょう。二人だけでゆっくりとカシノに行ったら、負けなかった。
そうそう、外のジュクジに入ったとき、一緒にいた人が帰ったら膝の手術をしなければならないのだといったので、その人のために祈ってあげた。どんなバックグランドの人が知らないが、カナダから来た人で、イエスさまに手術のことお祈りしてあげましょうかと言ったら、お願いしますというのでそういうことになった。
伯父さん、伯母さん、Janiceに会え、哲ちゃん、冴さんとも一緒に過ごすことができたこと、本当に感謝!
楽しいときをありがとうございました。
あいさつ
ご無沙汰しております!
四月も半ばを過ぎ、殆どの木々がすっかり緑に覆われているシカゴになりました。花は三月に咲いてしまったので、今は木々の緑が目に染み、楽しんでおります。先にブログを書いてから3週間近くなり、うかうかしていたらまた宣伝が載ってしまうと考えていました。この4、5週間の忙しかったこと。少しづつブログに書きますから、お許しください。二、三の人からブログが更新されてないけど元気なのですかと、心配の電話などいただき恐縮しております。
皆様のところはいかがでしょうか。日本の東北、北海道は、寒く、雪の多い冬だったようですが、桜の花が咲き始めたでしょうか。一年前に東北で起こったあの恐ろしい大災害のあとでも、きっと桜の花は咲き、人々の心を和まされていることを願っております。
先ほど山形にいる弟からの話で、東北一帯には殆ど観光客が来なくなったとのこと。そう言えばシカゴの旅行社でも、日本旅行は考えるようにと言われるそうです。原発のこと、東京などは殆ど毎日のように地震があること、そして百年前に起こった東京大震災より大きな地震が起きるだろうと予測されていることが理由になっているようです。それが本当だとしたら、関東地方に住んでいる人たちは、心が休まることがないでしょうね。これだけ発達しているテクノロジーが、その日を一刻も早く予想できるようにお祈りしましょう。
ところで忙しかった第一のニュース。旦さん、Hirokoも一緒に乗っていた車の事故にあったこと。信号が赤で止まっていたとき、後ろからドーーンとぶっつけられた。はじめ大きな音がして、どこで事故があったのって、回りを見回しているうちにドーーンとぶっつけられた。旦さんは一生懸命に前の車にぶっつからないようにしたが、前のリッチな車、BMWにぶっつけてしまった。前の車の人が直ぐに出てきてよーーく、よく見てたが、さすがBNWなのでしょう、どこにもかすり傷もなく、その人は大丈夫だったと言って行ってしまった。

これがぶっつけられた旦さんの車。
大変だったのは旦さんの後の車。直接にぶっつけられた車の運転手さんはメキシコ人であまり英語が話せない人で、胸の横をハンドルにぶっつけ痛い、痛いと言っていたので991に電話した。991のオペレターのいろいろな質問に答えているうちに、直ぐ近くを救急車が通りかかり止ってくれた。本当に良かった。後の人の胸の痛みもあまり心配なさそうだったし、救急車の人がいろいろ教えてくれて助かった。勿論、旦さんもHirokoも何でもなかったから、感謝、感謝だった。
すごく寒い日で、旦さんは震えながら、ぶつけた人にいろいろ質問していた。でも1分もしないうちに991から警官がきてくれて、まずぶっつけた人に質問しはじめた。その人はあるConstruction会社の車を運転していたけど、運転免許書も仮免許で、変なペーパーを持っていて、警官もこれは何だなどと言っていた。勿論、その人は保険など持っていなかったが、会社の保険を提示していた。どうして赤信号で止まっている車にぶっつけたのかは今でも疑問。きっとTXTをしていたか、Cel Phoneで話していたか、居眠りしたかだろうって話し合った。そんなわけで一時間もそこにいたが、車も運転でき、警察への届書のコピーももらったのでショッピングに行った。
そのあと保険との掛け合いが大変だった。まず旦さんは自分の保険のエージェントに言って話し合ったが、将来のことも含めて、相手の会社の保険を使うのが一晩良いと言われたので、相手の保険会社に電話して、ケースナンバーをもらって電話するからと言われ、毎日待っていた。いつまで経っても電話がなく、一週間後、もう一度電話したら、係りの人が変わったとかで、新しい人とまたはじめからやり直し。一週間後やっと電話があって車の損害評価の人を送ると言ってきた。教会の隣に車の修理会社があって、土曜日にも関わらず一人の修理工が働いていた。教会から帰ろうとしたとき丁度その修理工が出てきたので、旦さんはその人の意見を聞いた。その人はきっと腕利きの修理工なのだろう、これはヘンダーだけの問題ではなく、ほら、ここを見てご覧と言って、荷物を入れるところの壁がブカブカしていたのを教えてくれた。その人の意見では1,500ドルはかかるだろうとのことだった。それで保険の損害評価人が来るのを待った。評価人は来たが、写真を撮っただけで、車の中など見なかった。やっと、やっと手紙が来た。その手紙には800ドルと評価されていた。教会の隣の修理工のところに旦さんは飛んで行った。その人には旦さんの保険会社の損害評価をやっている友人がいて、その人に連絡したら直ぐに来てくれた。その人の評価額は1,700ドルで、保険会に連絡してくれて、受け入れられた。
連絡がくるのを今日か、明日かと待つのも忙しい気分だったが、保険のこと、車のこと、旦さんもHirokoも何でもなかったし、全て終わって、安心して、ラスベガスに行ってきた。そのことは次のブログに書くことにする。
イエスの守りがあったのだ。Insuranceとの掛け合いも余り問題なく終わり、車のヘンダーも新しくなり、ブカブカも修理された。旦さんはこれだと自分の保険の掛け金は高くならないだろうと考えているが、どうなるだろうか。
感謝!ありがとう!あなたが見守っていてくれたことは明らかです。
皆様のところはいかがでしょうか。日本の東北、北海道は、寒く、雪の多い冬だったようですが、桜の花が咲き始めたでしょうか。一年前に東北で起こったあの恐ろしい大災害のあとでも、きっと桜の花は咲き、人々の心を和まされていることを願っております。
先ほど山形にいる弟からの話で、東北一帯には殆ど観光客が来なくなったとのこと。そう言えばシカゴの旅行社でも、日本旅行は考えるようにと言われるそうです。原発のこと、東京などは殆ど毎日のように地震があること、そして百年前に起こった東京大震災より大きな地震が起きるだろうと予測されていることが理由になっているようです。それが本当だとしたら、関東地方に住んでいる人たちは、心が休まることがないでしょうね。これだけ発達しているテクノロジーが、その日を一刻も早く予想できるようにお祈りしましょう。
ところで忙しかった第一のニュース。旦さん、Hirokoも一緒に乗っていた車の事故にあったこと。信号が赤で止まっていたとき、後ろからドーーンとぶっつけられた。はじめ大きな音がして、どこで事故があったのって、回りを見回しているうちにドーーンとぶっつけられた。旦さんは一生懸命に前の車にぶっつからないようにしたが、前のリッチな車、BMWにぶっつけてしまった。前の車の人が直ぐに出てきてよーーく、よく見てたが、さすがBNWなのでしょう、どこにもかすり傷もなく、その人は大丈夫だったと言って行ってしまった。

これがぶっつけられた旦さんの車。
大変だったのは旦さんの後の車。直接にぶっつけられた車の運転手さんはメキシコ人であまり英語が話せない人で、胸の横をハンドルにぶっつけ痛い、痛いと言っていたので991に電話した。991のオペレターのいろいろな質問に答えているうちに、直ぐ近くを救急車が通りかかり止ってくれた。本当に良かった。後の人の胸の痛みもあまり心配なさそうだったし、救急車の人がいろいろ教えてくれて助かった。勿論、旦さんもHirokoも何でもなかったから、感謝、感謝だった。
すごく寒い日で、旦さんは震えながら、ぶつけた人にいろいろ質問していた。でも1分もしないうちに991から警官がきてくれて、まずぶっつけた人に質問しはじめた。その人はあるConstruction会社の車を運転していたけど、運転免許書も仮免許で、変なペーパーを持っていて、警官もこれは何だなどと言っていた。勿論、その人は保険など持っていなかったが、会社の保険を提示していた。どうして赤信号で止まっている車にぶっつけたのかは今でも疑問。きっとTXTをしていたか、Cel Phoneで話していたか、居眠りしたかだろうって話し合った。そんなわけで一時間もそこにいたが、車も運転でき、警察への届書のコピーももらったのでショッピングに行った。
そのあと保険との掛け合いが大変だった。まず旦さんは自分の保険のエージェントに言って話し合ったが、将来のことも含めて、相手の会社の保険を使うのが一晩良いと言われたので、相手の保険会社に電話して、ケースナンバーをもらって電話するからと言われ、毎日待っていた。いつまで経っても電話がなく、一週間後、もう一度電話したら、係りの人が変わったとかで、新しい人とまたはじめからやり直し。一週間後やっと電話があって車の損害評価の人を送ると言ってきた。教会の隣に車の修理会社があって、土曜日にも関わらず一人の修理工が働いていた。教会から帰ろうとしたとき丁度その修理工が出てきたので、旦さんはその人の意見を聞いた。その人はきっと腕利きの修理工なのだろう、これはヘンダーだけの問題ではなく、ほら、ここを見てご覧と言って、荷物を入れるところの壁がブカブカしていたのを教えてくれた。その人の意見では1,500ドルはかかるだろうとのことだった。それで保険の損害評価人が来るのを待った。評価人は来たが、写真を撮っただけで、車の中など見なかった。やっと、やっと手紙が来た。その手紙には800ドルと評価されていた。教会の隣の修理工のところに旦さんは飛んで行った。その人には旦さんの保険会社の損害評価をやっている友人がいて、その人に連絡したら直ぐに来てくれた。その人の評価額は1,700ドルで、保険会に連絡してくれて、受け入れられた。
連絡がくるのを今日か、明日かと待つのも忙しい気分だったが、保険のこと、車のこと、旦さんもHirokoも何でもなかったし、全て終わって、安心して、ラスベガスに行ってきた。そのことは次のブログに書くことにする。
イエスの守りがあったのだ。Insuranceとの掛け合いも余り問題なく終わり、車のヘンダーも新しくなり、ブカブカも修理された。旦さんはこれだと自分の保険の掛け金は高くならないだろうと考えているが、どうなるだろうか。
感謝!ありがとう!あなたが見守っていてくれたことは明らかです。
クリスチャンの生活
ホーリーウィーク 受難集
2012年の4月1日から7日までの一週間は、イエスの苦難が頂点に達する週、クリスチャンにとっては重要な週であった。日本語は受難週、英語ではホーリーウィークと呼んで、多くの旧教の教会では毎日朝早くから礼拝を行っていた。
この一週間はパームサンデー棕櫚の日曜日からはじまって、イースターまでの一週間である。パームサンデーは、イエスさまがご自分の死を感知なさってエルサレムに入場した日である。民衆はイエスさまの思いとは別に、イエスこそこの苦しみ、ローマ帝国の圧制から救ってくれるイスラエルの王となる人であると考えた。イエスがエルサレム入場したとき、パームの葉を振って、喜び、称えて迎えた。

パームの葉とその葉で作った十字架
イエスさまは、エルサレムに入られてからのその一週間、宮で教えられたり、宮清めをなさったり、弟子たちに最後の別れとなる晩餐をなさったり、晩餐のとき足洗いそしてイエスを憶えているようにと聖餐式を行ったりなさった。最後の苦難の日グッドフライデー聖金曜日となる。
聖金曜日の前日にレント四旬節が終わる。

レントの祭壇
レントは、灰の水曜日(はいの水曜日関する記事が、2009年2月25日「灰の日AshWednesday」と題して、http://ishimaru92.blog105.fc3.com/に載っているのでご参照ください。)からはじまり40日間続く。レントにはイエスの十字架の死を考慮し、断食したり、楽しみを断ったりして、イエスの苦難を少しでも分かろうとする。クリスチャンとして、愛するイエスを常になく日常生活の中で思い続けることに心がけようとする40日である。

聖金曜日の祭壇
黒で表されているように、この日にイエスは、人々の罪を負って神の憤りをなだめ、人々が罪から救われ、自由になるように、ご自分の命をかけてくださったのである。人の罪はどんなに良い行いをしても消されることはない。
聖書のエペソ書2章8-9節には、「事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません、それは、だれも誇ることがないためなのです」とある。

イースターの祭壇
待っていたイースターの日曜日の朝になった。
礼拝のあと、人形劇によるイースターの話
「イエスは十字架に掛けられて死んでしまった。これからどうすればよいのかと迷っていたイエスの弟子たちに、イエスが蘇った、死を打ち破り生き返ったのだとの嬉しい知らせがもたらされた。弟子たちは喜びに満たされ、イエスに会い、これからなすべきことを知らされた弟子たちは、力と知恵に満たされて、この喜ばしい知らせを伝え続けた。」
それから二千年以上、イエスのこの良き知らせは語り続けられている。
シカゴの今年のイースターは天気もよく、気温も暖かかったので、サンライズサービスをミシガン湖の近くで行って、喜びと感謝を表した教会も多くあった。Hirokoの教会では、日語部、子供たち、そして英語部が一緒になって礼拝を守った。そのあとは持ち寄りの昼食会があり、楽しいひと時を多くの人たちと交わり、感謝して過ごした。
いろいろな国のご馳走がたくさんあって、どれを食べても美味しかった。ご馳走様。食べるのに忙しく、写真のことなどすっかり忘れちゃった。残念、残念。
この一週間はパームサンデー棕櫚の日曜日からはじまって、イースターまでの一週間である。パームサンデーは、イエスさまがご自分の死を感知なさってエルサレムに入場した日である。民衆はイエスさまの思いとは別に、イエスこそこの苦しみ、ローマ帝国の圧制から救ってくれるイスラエルの王となる人であると考えた。イエスがエルサレム入場したとき、パームの葉を振って、喜び、称えて迎えた。

パームの葉とその葉で作った十字架
イエスさまは、エルサレムに入られてからのその一週間、宮で教えられたり、宮清めをなさったり、弟子たちに最後の別れとなる晩餐をなさったり、晩餐のとき足洗いそしてイエスを憶えているようにと聖餐式を行ったりなさった。最後の苦難の日グッドフライデー聖金曜日となる。
聖金曜日の前日にレント四旬節が終わる。

レントの祭壇
レントは、灰の水曜日(はいの水曜日関する記事が、2009年2月25日「灰の日AshWednesday」と題して、http://ishimaru92.blog105.fc3.com/に載っているのでご参照ください。)からはじまり40日間続く。レントにはイエスの十字架の死を考慮し、断食したり、楽しみを断ったりして、イエスの苦難を少しでも分かろうとする。クリスチャンとして、愛するイエスを常になく日常生活の中で思い続けることに心がけようとする40日である。

聖金曜日の祭壇
黒で表されているように、この日にイエスは、人々の罪を負って神の憤りをなだめ、人々が罪から救われ、自由になるように、ご自分の命をかけてくださったのである。人の罪はどんなに良い行いをしても消されることはない。
聖書のエペソ書2章8-9節には、「事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません、それは、だれも誇ることがないためなのです」とある。

イースターの祭壇
待っていたイースターの日曜日の朝になった。
礼拝のあと、人形劇によるイースターの話
「イエスは十字架に掛けられて死んでしまった。これからどうすればよいのかと迷っていたイエスの弟子たちに、イエスが蘇った、死を打ち破り生き返ったのだとの嬉しい知らせがもたらされた。弟子たちは喜びに満たされ、イエスに会い、これからなすべきことを知らされた弟子たちは、力と知恵に満たされて、この喜ばしい知らせを伝え続けた。」
それから二千年以上、イエスのこの良き知らせは語り続けられている。
シカゴの今年のイースターは天気もよく、気温も暖かかったので、サンライズサービスをミシガン湖の近くで行って、喜びと感謝を表した教会も多くあった。Hirokoの教会では、日語部、子供たち、そして英語部が一緒になって礼拝を守った。そのあとは持ち寄りの昼食会があり、楽しいひと時を多くの人たちと交わり、感謝して過ごした。
いろいろな国のご馳走がたくさんあって、どれを食べても美味しかった。ご馳走様。食べるのに忙しく、写真のことなどすっかり忘れちゃった。残念、残念。



