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雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ち付けても、倒れることはない。岩を土台としているからである。

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どんなときに夏の終わりを感じる?

夏の終わり。それは食べ物に関係あるのよ。裏庭に、旦さまが作っているキュウリ、グリーン・ペッパー、グリーン・ビーンズ、トマトが、夏の終りにはなくなっちゃうの。

寒い、寒い冬の間、シカゴのマーケットで買う野菜の美味しくないこと。キュウリなんて柔らかいんだものね。旦さまのキュウリは器量が悪くてもパリパリで美味しいこと。マーケットのグリーン・ビーンズは幾ら茹でても硬いしね。採れたてのグリーン・ビーンズなんて、マイクロウェーブ・セーフの袋に少し水をいれて1分もチンして、ちょっとお醤油かけて食べると、美味しいこと。

食いしん坊の光子には悲しい、悲しい、夏の終わり。

旦さまのトマト、キュウリ、グリーン・ビーンズなどの木を見て。みんな枯れはじめてる。八月も終わりだから。
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ところで今年の日本も冷夏だったのね。シカゴは摂氏90度(華氏30度)以上になったのは六月に二日間、七月に一日だけ。雨もこの頃よく降ってるけど、ちょっと遅いのよね。雨なし、高温なしで変な野菜ができたのよ。
可愛い双子のキュウリ お友だちのところには丸いキュウリができたんだって。
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トマトも出来が悪い上に傷だらけなの。鳥が突っついたか、雨のための傷か。分かる人、どうぞ教えて。光子は雨だと思って食べてるんだけどね。旦さまは鳥だと言うのよ。隣の人が庭にパンくずをおいて鳥にフィードしてるから、鳥がたくさんくるのよ。
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それからリスに食べられるのよ。リスが齧ったところ見えるでしょう。キュウリとトマトとグリーン・ビーンズ
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今一番盛りなのは紫蘇だけ。紫蘇の実がなるようになると晩秋だから。
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リスが裏のポーチで食べ物を待ってるのよ。野菜を食べられないようにピーナッツなどをあげてたら、しほうさんがピーナッツなどあげるから来るのよ。はじめから何もあげなければこのうちは駄目だってこないから庭のものを荒らされないというのよ。動く被写体を写すのは難しいね。二枚ほど撮ってみたけど全然駄目。ナッツ貰ったらさっさと下に降りて行っちゃった。
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この間しほうさんが裏のポーチでリスをいっぱい撮ってたから、いつかそのリスの写真をブログに載せてくれるといいんだけどね。しほうさんのブログの名前は”NEKONOSHITA”。リンクにしてあるのでしほうさんのブログでリスを見て。でも今まだ書いてないけどね。

来年の夏まで食べないだろう、そうめんサラダのレシピをContinueに載せるから、それも読んでね。それからコメントもお願いね。

光子は全面的に天地創造を信じてます。同志社大学創立者の新島襄は聖書の一番はじめの言葉「はじめに神は天と地を創造された」を読んで、キリスト者になったそうです。そんなに信仰篤くないけど、神が天と地、そしてその中の一切のもの、人をも含めて創造されたことを信じています。
また、季節をも造られたと書いてあります。神が季節を造ってくださったことに感謝します。春、夏、秋、冬、この四シーズンがはっきりするところは大好きです。
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伝記 井上家の人々

井上家の人々 VIII. 強制収容所へ

春のうららな日が差し込む店頭の椅子に座っていたお祖母さんは、そのあまりにも平安は雰囲気に、
「ねえ、おじいさん」と、店の品物のストックを数え見て回っているお祖父さんに語りかけた。
「何だね。」
「ええ、何とも穏やかで、心が和むので私たちの一生のことをあれこれ考え、感謝してたとこですよ。」
「本当にいろいろあったね。遠い昔、あんたと広島を出た日から。」
「私はあの日を思う度に、一生で一番いいことをしたと思ってるんですよ。おじいさん。あなたのほかに結婚する人はいなかったから。本当にありがとうね。」
「でも、あのあとからのことは思い出したくないだろう。」
「あのメキシコでのことも、考えてみれば、わがままに育った私が、おじいさんと一緒に良い生活を築くための教えだったと思ってますよ。」
「そう思えるのはいいことだね。あそこを必死の思いで出てからは、赤ちゃんのことは別にして、うまくいったね。」
「あの赤ちゃんのことを思うと、今も悲しいけれども、直ぐに勇さんが与えられ、嫁も日本から貰って、可愛い孫が二人も与えられ、おじいさん、私は幸せですよ。」
「本当に、本当にそうだね。いろいろ有難う。」
お祖父さんとお祖母さんのこの平和な会話も、生活も長くは続かなかった。日本とアメリカの険悪な状態が、長い間、聞こえてきていた日々だった。急にその険悪さが最高に達していた。戦争がいつ始まっても良いような状況だった。
もし日本とアメリカが戦争に突入したときのことを考え、お祖父さんは思った。「もし戦争になったら、わしは日本に背を向けられるだろうか。日本が大切か、家族の絆、そして中でのこの平和で穏やかな生活。」お祖父さんは考えに考えた。こんな苦しいことを決断しなければならないとは思っても見なかった。
今まで一生懸命やってきたビジネス、毎日多くの人たちがこの小さな店に買い物に来てくれたし、お風呂やと宿屋も日本からの若い人たちが便利に利用してくれて役に立っていたし、勇さんのリーダーの下に多くのメキシコ人たちが労働に励んでくれてレタスとストロベリーが多く収穫されていた。でもこのビジネスは全部、勇さんが良くやってくれるだろうから勇さんに渡すとしても、家族との交わりとその生活を壊してまで日本に忠誠をつくすべきなのか。どうしたら良いのか。
考えに、考えた結果、お祖父さんは最後に、どうしても日本に背を向けること、天皇陛下に弓を引くことなど到底できないと、涙を流してお祖母さんに話し、同意を得た。そして初秋のある日、お祖父さんとお祖母さんは日本に帰ることにした。
勇さんはそのお祖父さんとお祖母さんに殆どの貯金を持たせた。日本に帰って、土地家屋を購入し、当分の間仕事などしなくても生活できるに十分な額だった。勇さんの弟たちや妹もできるだけのことをして、お祖父さんとお祖母さんを日本に送り帰した。
それから勇さん夫婦が井上家の中心となり、家族を支えた。勇さんの妹、弟たちは、このときの正枝さん(勇さんの奥さん)がしてくれたことを忘れず、いつまでも姉さん、姉さんと言って感謝していた。
1941年12月7日。日米間の戦いが起こるとは予測していたけれども、ハワイのワイキキ奇襲攻撃などという形で戦争がはじまったのには、日本人も日系アメリカ人も、少なからず驚き、残念であった。
石を投げられたり、夜中に来て家にジャップなどと書かれたり、学校でも先生はじめみんなに白眼視され虐められたり、マーケットなどでもジャップ、ジャップ、売国奴などと呼ばれて売ってもらえなかったりした。
1942年2月19日。ルーズベルト大統領は、大統領令No.9066を発令した。その発令は、日系人が手引きをして第二の奇襲攻撃がカリフォルニアになされることを軍部が恐れたためとしている。しかし同じ敵国人であるドイツやイタリア系移民にはこのような隔たり政策はなかったのだから、日系だけをターゲットとした人種的偏見があったと、日本人、日系アメリカ人は思っている。特にアメリカ人である日系アメリカ人をも強制収容したことには多くの反響があった。
1942年3月27日。大統領令が出たあと、Gen. DeWillは全ての日本人、日系アメリカ人はカリフォルニアから去らなければならないことを強制した。
井上家に強制収容のための移動の命令が来たときは、レタスとストロベリーの収穫時だった。お祖父さんとお祖母さんに貯金の殆どを持たせたあとのはじめての収穫だった。この収穫は井上家にとっては重要な収入源だったのである。でもこの命令が来て出かけるまでには二週間となかったのである。二週間で今している生活を全て精算し去らなければならないのであるから、何もできなかった。地主は賃貸料をもらえればそれだけでよい、レタスもストロベリーもいらないとのことで、近所の人たちに話をしても足元を見られ、二束三文の値しかつけてくれなかった。そんなことなら労働を提供し、一緒に働いたメキシコ人に話しをすることにした。うまく売れば一週間のうちに二、三百ドルにはなるだけのレタスとストロベリーがあった。勇は五十ドルづつを要求したが、メキシコ人はそんな金はないと言って、十ドルづつで合計二十ドルをもらっただけだった。
強制収容所、一般にはキャンプと言われるところに持っていけるものは、一人スーツケース二つだけだった。それで近所の白人たちの中にも、そんな日系人をかばって買ってくれる人もいて、売れるものは全て売った。多くの白人たちは、家具やピアノなどの大きなものは見ているだけで、誰も買うとは言わなかった。買うと言ってもピアノ一つに十ドルとか二十ドルだった。日系人が強制的に移動させられたあとに残されたものは、無料で持ち出せることを知っていたからだ。そんなことを知っていても日系人はどうすることもできなかった。
ただ、着物などはお金を出してでも買ってくれる人たちがいた。正枝も日本のお父さん、お母さんが心を込めて整えてくれたものだったが、これから着るチャンスもなかろうと売った。お祖母さんが置いていった着物も全て売った。
正人はそのときのことを全然覚えていない。覚えているのは重いスーツケースを持たされたことだけだ。
はじめは汽車に乗せられた。窓には外が見えないように黒い布がかけられていた。誰もが恐ろしさで、その布を上げて外を見ようとしなかった。口にはしなかったが、みんな黒い布のかかった汽車を見たときは殺されると思った。
汽車が止って降ろされ、次はバスに乗せられた。バスの窓にも黒い布がかけれていて、外は見ることができず、何処へ連れて行かれるのか分からなかった。みんなバスに揺られて、口を開くものなど一人もいなかった。
バスがやっと止り、着いたところは砂漠の真ん中だった。収容所なのだろう。鉄条網がめぐらされ、入り口には高いタワーがあり、その上にはアメリカ兵が銃を持って見張りをしていた。少しでも鉄条網に近づくものがあると発砲された。
鉄条網の中にはかまぼこ型のバラックが並んで沢山建っていた。その中の一つのバラックの半分が井上家四人にあてがわれた家だった。砂漠の中のこのバラックで、それから二年半余住むことになったのである。このバラックでの生活で思い出されることは悪いことばかりだ。
部屋の仕切りがなく、親子四人、プライバシーなどない生活がはじまった。それでも勇は器用だったのであれこれと工夫し、少しでも家らしくしようと試みた。カーテンで仕切りを作って部屋らしくしたり、軍に要求するといろいろと支給してくれて家具なども少しづつ貰え、家らしくなっていった。
食事はメスホールと呼ばれるところで、キャンプの全員が集まって食べるので、バラックにはキッチンもダイニングもいらなかった。
折角、こうやって勇がバラックの中を少しでも家らしく整えてくれても、サンドストームが吹くと、ベット、家具、床、その他何でもあるものの上に、砂が三、四インチもたまった。サンドストームは朝、晩の二度は必ず吹くし、酷いときには日中にも吹くのだから、お掃除は創造以上に大変だった。
また、ここはアリゾナの砂漠で、湿気は少ないが、日中は120度前後の暑さになるのだから酷かった。それに日が沈むと夜はぐっと冷え込み寒くなるのだった。体の弱いものにはとても厳しいところだった。
正枝はこのキャンプ生活で、一つ感謝できることがあった。それはこの湿気のない120度の気候だった。正人の弟の徹は小児喘息で苦しんでいた。医者はこのままでは一生喘息で苦しまなければならなくなるだろうと言っていた。それを治すには、唯一つ、乾燥して湿度がなく、温度の高い土地への転地療法だけだと言われていた。そんなことをしてやることができず、可哀そうだが仕方ないと思っていた。ところがお金を使うこともなく、殺されると覚悟していたのに着いた土地が徹には最適の土地だった。これ一つでも感謝できることのある人は本当にまれなことである。
家族が一緒になって食事をすることができなかった。はじめのころは、正枝はメスホールに行っても家族だけで一つのテーブルについて食べていたが、そのうち子供たちは子供たちという雰囲気ができてしまい、それに入らないと子供たちも仲間外れにされたりした。また大人だけで話し合いたい相談ごとなども食事のときにしたりしているうちに、家族一緒でする食事がなくなってしまった。
子供たちはボーイスカウトのキャンプへ行ったような気分で喜び、親に側で煩く言われることもなく、皆でわいわいと言って食事ができるのを楽しんだ。でも少し大きい子供たちは、何かが違う、これでは家庭がない、親子の親しい交わりがないといって悩んだ子供たちも少なくなかった。またあとになってこのキャンプでのできごとを振り返ったとき、家族の生活がなかったことを悲しく思うようになったものたちも少なくなかった。
また子供たちは、親や先生に、自分達はどんな悪いことをしたのか、どうして鉄条網があるのか、どうして兵隊が銃をもって見張っているのか、自分達はジェールにいるのか、と聞いた。大人たちは、子供の心を思い、何と言って説明するか相談し合った。
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1990年レーガン大統領のころ、アメリカの歴史上に起こった汚点の一つとも言うべき、アメリカ市民である日系アメリカ人を強制収容したことに対する謝罪金が支払われることになった。
しかしお金では癒されない痛みを持った日系アメリカ人は沢山いた。日本人であることを恥ずかしいと思った子供たちが多くいた。
日系アメリカ人の子供の一人の卒業式のときだった。その子はお母さんに、
「ママ、今日は卒業式だけど、ママは来なくてもいいよ。日本人は誰もいないからね。僕一人で大丈夫だから」と言って出かけていった。そのお母さんは子供たちの卒業式には出席することがなかったと言っていた。
またある日系アメリカ人は、日本人と言われたくないため、長いこと自分は中国人だと言っていた。キャンプに入る前、日本人と間違われないため中国人と書いたものを胸に付けていた中国人たちのことを思い出していた。日本語を勉強したいなどと思わなかったし、日本の食べ物さえ嫌いだと思っていた。
思春期をあの鉄条網が張り巡らされ、米兵が銃をもって見張っているキャンプで送った人たちは、また一つ違った怒りをもっていた。楽しく、将来に期待をもってデートしたりする年齢だっただけに、その人たちは自分達には思春期はなかったと言っている。

ユダヤ人は天地創造の神から選ばれた人種であるのに、歴史上いつの世でも迫害を被ってきた。選ばれたもの、また人と少し違うものたちはいつのときにも、人々から虐められたり、害を蒙っているのは、今の世でも同じことである。
第二次大戦のとき、ドイツで収容され、ガス・チェンバーで、シャワーに入ると言われて殺されていったユダヤ人、600,000人のことを思うと、どうして人はあんなことができるのだろうか。あれは悪魔の仕業としか思えない。悪魔が善に勝っているように見えた。
しかし天地創造の神は、あそこにもいた。1948年ユダヤの国はエルサレムに再建国された。それだけでなく多くのユダヤ人たちが、イエスを主なる神、メシヤと信じはじめている。そしてJews for Christとの運動が盛んになっている。
創造主なる神が、天地を創造したときから人を救う計画を着々と進めている。戦争は人の欲望、誇りなどから起こるが、神はその人の罪をも用いて、神のプランを進めるのである。
この神の計画を知りたい人は、どうぞ聖書の最後の本、黙示録、そして旧約の中のエゼキエル書、イザヤ書などを読んでください。

「紅茶きのこ」のことをオハイオの久美子さんから聞き、調べた結果を続きに書きますので見てください。そしてコメントもお願いね。

シカゴあれこれ

真夏のミシガン湖畔

真夏のミシガン湖畔は、いろいろなことできて楽しい。その中でも自転車で湖畔添いの道を乗り回すのは最高の楽しみ。仕事をしていたときには自転車でこの道をダウンタウンまでよく通った。自転車を乗り回しながら人々が楽しんでいる様子を写真に撮ったので見てね。
まず家を出てミシガン湖畔に行くとき、冬の間は葉がなくなった木々も、真夏になると緑のトンネルを作ってくれる。朝早くこの緑のトンネルの下を通るとその空気の美味しいことに気づかされる。
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ここから三十分自転車に乗ると、ベルモント・ハーバーと言われ、沢山のヨット、ボートが停泊しているところに着く。大きなボートだと家が買えるほどの値段で、停泊賃は家を借りれるくらいだそうだ。本当に沢山のヨット、ボートがこににはある。お金持ちが沢山いるんだね。
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このハーバーの中で釣りをする人、また水にはダックが泳いでいる。日中のこんなときに釣りをするのは可笑しいんだけど、一人だけいた。朝早くとか、夜遅くには、サーモン、スメルト、虹鱒なども釣れるそうだ。サーモン、スメルトなどをよく貰って食べたものだ。
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これから十枚ほど、子供たちの遊び場の写真が続く。夏休みなのでシカゴ市公園課がいろいろな行事をして子供たちを遊ばせてくれる。
テニス、サッカー、ベースボールなどのレッスン    2歳から5歳までの子供たちのゲーム
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これらは料金を払ってレッスンを受けたり、小さい子供を見てもらう。下の二つは子供たちが勝手に行って、自分達で互に教えあったり、ゲームしたりしている。バスケットボール・コートは光子がシカゴに来たときにあったから五十年以上はここにあるコート。スケート・ボード・コートは最近作られたもの。
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こんな子供たちの遊び場だけでなく、犬たちのためのビーチもある。犬が三匹も遊んでた。犬が泳いでるの見える。
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勿論、大人用の遊び場。そうゴルフ場があるの。前はこんな金の網がなかったからゴルフのボールが飛び出してきたりしたことのあった。
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トーテンポールがあったり、近くにお花畑や平和の庭があったり、勿論、芝生には椅子があって休めるようになったりしてるので、遠くまで自転車に乗ったら一休みできる。このトーテンポールのところで自転車で転んだの。
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遊び疲れたり、喉が渇いたりしたら、このオレンジの形をしたジュースのお店やさんで一杯。
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まだまだいろんなものがいっぱいあるけど、最後にピクニックをしているところと、ビーチでおしまい。ピクニックするとき虫がこないようにガジボをつくって網がかけてあった。ガジボのそばのバーベキュー用のグリルが木の陰の中に入ってしまってみえなくて残念。
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自転車に乗っている人が見えるでしょう。この自転車道を通って光子はお帰り。自転車道の向こうは、公園の中の自動車道。ポリスが車で見回ってくれてるのね。その向こうにミシガン湖沿いのハイウェイ。
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真夏にバーベキューをしたらポテト・サラダはつきもの。光子のポテト・サラダは特別。レシピを続きに書くので読んでね。真夏のミシガン湖畔についてのコメントもお願いね。

天地創造の神を褒め称える讃美歌2番
森にて鳥の音を聞き、そびゆる山に登り、谷間の流れの声に、
真のみ神を思う
わが魂(たま)、いざ、称えよ、大いなるみ神を、
わが魂(たま)、いざ、称えよ、大いなるみ神を。

シカゴあれこれ

旦さんの畑 1

五月に旦さんが裏庭に植えた野菜、やっと、やっと食べられるようになった。いつもは七月には食べ始められる。でも2009年の夏は暑くならず、雨が少なくて、人間が生活するには最高。エアコンディションはいらないし。でもコーンもそのため小さいし味も残念ながら今一歩というところ。旦さんのキュウリの収穫も全然だめ。やっと二、三本のキュウリが採れた。回りにいぼがついているぽりぽりして美味しいこと。グリーン・ビーンズはよかった。

野菜がなっているところを撮った写真だけど分かるかしら。
グリーンビーンズとキュウリ(見える?)
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トマトなんだけど、全然駄目。赤くならないのよ。その上リスが来て、一口かじるので食べられなくしてしまうの。しほうさんが光子がリスに餌をやるからだって。リスがお腹をすかしてるとかじられると思ったんだけどね。
写真のトマトも駄目。トマトの横の写真は何だかわかる。ハラピニオ・ペッパー。真ん中に一つ見える。
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上にあったグリーンビーンズは大家さんのグリーン・ビーンズ。旦さんのはブッシュのグリーン・ビーンズで余りできなかった。一度だけ美味しいのをたべたかな。ブッシュのグリーン・ビーンズなんて見たことなかった。グリーン・ビーンズは普通つるがあるのよね。
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それからグリーンと赤の紫蘇。これってマーケットで買うと十枚程のパッケージで2ドルくらいもするらしいのよ。紫蘇って野生の草なんですってね。何もしないでも毎年ちゃっと出てくれるので感謝。
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収穫した野菜と紫蘇
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日本でも新嘗祭、神嘗祭って収穫を祝ってお祭りをしたけど、聖書のなかにも収穫のお祭は大切な行事。こんなに美味しいものを食べられると感謝してお祭りをしたくなりますよね。
ところで聖書の祭りというのは、Feast(美味しいもの、宴会などの意味)と言われていて年に七回もするの。春の収穫期には四回、秋の時には三回。新約聖書には祭りの規定などは書かれていないけど、この祭りはキリスト者にとっては、イエスを思い出すために重要な行事。キリスト者はもっともっと祭りを大切に考えないといけないね。春の四回の祭りは、イエスが来られて十字架上で死んで蘇ったことを予言されているもの。秋の祭りはイエスが再び来られることを予言されているもの。
祭りの一つ、一つの規定をそしてその意味を考えると、神が人を愛し、イエスを救い主として送ってくださったことが、神の計画の成就と考えられる。

金曜日はフィッシュを食べる日。それでフィッシュN’チップにする。生の芋から作ったチップ、美味しかった。写真と作り方、続きに書いたので読んでね。コメントもお願いね。
プロフィール

Tsukasa Hiroko

Author:Tsukasa Hiroko
初めの家は塵でできており、砂の上に建っていました。
四十年前にシカゴで木の家を岩の上に建てさせていただきました。
今はレンガの家が岩の上に建つようにしていただいたようです。
金の家になれる日を望んでいます。

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