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雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ち付けても、倒れることはない。岩を土台としているからである。

伝記 井上家の人々

井上家の人々 - IX. 日系人部隊

井上家の孫、正人と三年間文通をしたあと、正人が日本に来て光子に結婚を申し込んだ。光子の入った大学でキリスト教概論を教える教授、あだ名を雅歌教授に相談し、神のご意志でしょうと言われ、クリスチャンでもないのに神のご意志で結婚できるのは神秘的だなあなどと考え、結婚した。そのあと正人の広島のお祖父さんが死を迎えるのを看取り、真冬にシカゴへと旅立って来た。
シカゴへ来て直ぐに、親戚、友人に紹介された。その人たちと食事を共にしたとき、聞きなれない言葉、「キャンプ」とか「442」の話を聞いた。
光子は正人に、これらの言葉について説明してもらった。正人はキャンプに入ったが、そのときの記憶はあまりなかった。キャンプでの出来事は、あとになってパパやママからいろいろ聞かされた。(キャンプのことは、同ブログの小説「井上家の人々・VIII強制収容所」に書いたのでご覧ください。)
正人の伯父さんたち、即ちお祖父さんとお祖母さんの三男(マイケル)と四男(ジェームス)は442(442nd Regimental Combat Team/第442戦闘連隊)に入隊し、イタリア、フランスで戦ったとのことだった。
光子は家族ともども、その伯父さんたちをジョージア州アトランタ市に尋ねたことがあった。伯父さんたちは、そこでChick’s Sexing(ひよこの性の識別)の仕事をしていた。光子は伯父さんたちに442のことについて聞いてみた。ジェームス伯父さんは。マイケル伯父さんが死んだとばかり思っていたのに、ニースの街の中で突然会って、びっくりしたという話をしてくれた。いつかマイケル伯父さんから442の話を聞きたいものだと思っていた。

光子は、シカゴにある定住者会(Japanese American Service Committeeシカゴに住む日系人達の世話をし、いろいろな働きをしていた)にシカゴ市から派遣という形で働いたことがある。
JASCには、引退した日系一世の人たちが多く来ていた。その人たちと話しをするチャンスがあった。日系一世は、日本から夢見てアメリカに移民してきて、安い賃金で文句も言わず、一生懸命、朝早くから夜遅くまで働いたのだ。
「私たちは本当に良く働いたなあ、安い賃金で。今では考えも及ばないかもしれないが、一時間25セント、一日の終りに2ドルから3ドル貰えたかなあ。」
「考えられないことですね。」
「そうだろう。雇用主たちは喜んで、日本人、日本人と言って雇ってくれたよ。」
「そんなことで日本人バッシがあったんですか。」
「そうだったな。黒人、メキシコ人、そして白人の労働者たちは仕事がないと言って市長や州長に文句を言った人たちもいたらしいね。」
昔を思い出しながら考えていたが、
「そんなことも、日本人だけを強制収容所に入れるきっかけになったらしいね。」
「一生懸命に働く人を偏見するんですか。おかしいですね。自分達も負けないで一生懸命働く気にならなかったのですか。」
「どんなに働いても日本人の働きには追いつけなかったよ。あの人たちは怠け者だからね」と言って、笑っていた。
言葉も分からず一生懸命に働き続けたこの人たちに、引退のときだよと言っても、家でじっとしていることができなかった人が多くいた。
JASCはそんな一世のために手芸をはじめ、日本の芸術、そして日帰り旅行などもプランして遊ぶことを教えたりした。ソーシャル・クラブの課で、光子はその課で働いた。
それからワークショップがあった。働きたい一世の人たちが集まって来たので、外から内職を持ってきて、皆で一緒に働けるようにした。外部の会社と内職の交渉をしたり、一世の人たちの面倒をみたりする部長さんがいた。光子はこの部長さんとは何かと話し合わなければならないことがあった。
ある日、この部長さんとお昼の時間が一緒になり、同じテーブルで昼食をした。そのときこの部長さんは光子に第二次大戦のときのことを話ししてくれた。
「君は第二次大戦のときは、まだ子供だったね。」
「小学校の三、四年でした。」
「そう。何処にいたの。」
「東京で生まれたんですが、学童疎開に行かなければならず、母方のお祖母さんが来て北海道に連れて行かれました。家族と離れて。」
「そう。あなたも戦争の痛みを少しは知っているんだね。」
「日系二世の人たちが442部隊で、敵のドイツ軍だけでなく、人種偏見という敵とも戦うため、死をもってアメリカへの忠誠を誓い、従軍していったことに比べれば何でもありませんけれども。」
「そう。442ね。あの連隊は華々しい活躍をして、死傷者最高数、Purple Heart受賞者最高数でPurple Heart Battalionなどを愛称名をつけれたりしたね。」
「部長さんもその連隊に入って、戦ったんですか。」
「いや、わしは日本語が少しできたので、日本との国交が悪くなり始めたとき、戦いがはじまらない前に、日本語の勉強のため軍に入れられたんだよ。」
「ええ、どうして日本語の勉強。」
「日系二世は、日米開戦になったらアジアには行きたくないと思っていたね。日本人と戦うなって。日本人に銃をむけるなって...できないよなあ。」と昔を思うようにじっと天井を見ていた。光子もだまってその部長さんの顔を見ていた。
「それがね。アジアに行きたくないと思っていたのにアジアに送られたんだよ。日本語を習った二世は、戦いになったら諜報部に所属し、諜報活動、文書活動、捕虜尋問など、日本語でできることは沢山あったからね。」
「どこへ行ったんですか。」
「太平洋の島々に送られたんだよ。わしのしなければならないことは、日本人捕虜を尋門することだったんだよ。」
「そうですか。大変でしたね。」
「大変ね。あのときの辛さは、あそこで働いた人でなければ分からないね。わしは自分は誰なのか、分からなくなってしまったからね。」
「...」光子は何も言えず、黙っていた。
「日本人捕虜は、アメリカの連隊で働いている日本人の顔をし、日本語を話しはするが、おまえたちには日本人の心が分かってたまるかって言われたね。日本人は捕虜になることを恥と思っていたから、その人たちの心を開かせるのは大変だったよ。」一息入れて、
「反対に、アメリカの将校達からは、おまえは日本人の肩をもっているのではないか。本当のことを通訳しているかって、疑われたりしたからね」と悲しそうな顔をしていた。
この部長さんは、このような状況下で日々を送り、自分のアイデンティテーをなくしてしまったのではないだろうか。この部長さんも第二次大戦の犠牲者なのだと思った。
その後しばらくして、この部長さんは引退してハワイで暮らすことができることを喜んで、JASCを辞して行った。

孫が生まれる喜びのシャワーに、光子は招かれて行ったときのことである。キッチンにお茶を貰いにいったら、そこにご主人が一人ぼんやりと座っておられ、奥さんは忙しそうにキッチンの中で働いていた。お茶をいただき、
「おめでとうございます。お孫さん、何人目ですか」と挨拶すると、ご主人は、
「いや、いや、久しぶりですね。ありがとう。まあ、お座りなさい」と言われた。
自分だけお茶を飲むのも変なので、何か飲み物持って来ましょうかと聞くと、奥さんがお使い立てして済みませんが、そこのコーヒーを入れてやってくださいとのことで、コーヒーを入れ、テーブルに持って行った。光子はそこに腰掛けてご主人の話を聞くことにした。奥さんは、すみませんね、主人は話を聞いてくれる人がいて幸せですよと笑っていた。
そのうち強制収容所の話になった。アメリカの歴史上、あれは最大の汚点だ。アメリカの国籍を有するものたちを罪のないのに、あんな鉄条網があり、銃を持った兵隊が見張りに立っているようなところに入れてと、怒った声を出した。
また日本人のある協会のことをも、アメリカに協力したとして、同じ日本人でありながらいがみ合い、互に陥れ合ったりしたのだと言って悲しんでいた。その協会は、強制収容所に入れられた二世たちと話し合い、二世部隊を作ることを考慮した。日系アメリカ二世たちは、アメリカの国籍を持っていても、真珠湾攻撃後は「敵性外国人」とされ、兵役資格を取り消されていた。しかし自分達はアメリカ人であることを証明したいと、その協会ともども運動した。その結果、収容所から二世の志願兵を募り、日系人部隊を作ることを決め、陸軍省に要請したが却下され続けていた。それも1943年1月28日に聞き届けられたが、忠誠登録という質問状が配られ、答えさせられた。
因みに、この忠誠登録の中の二項目は酷いものだった。この質問のため、収容所の中は混乱に陥った。この二つの質問は、アメリカ国家にとって、アメリカ人を強制収容するという汚名の上に、更に汚名を重ねた。
その二つの質問状の原文と光子による要約
27. Are you willing to serve in the Armed Forces of the United States on combat duty, wherever ordered?
質問27 あなたは米国軍兵士として従軍し、命令されればどこの任地へでも行く覚悟がありますか。
28. Will you swear unqualified allegiance to the United States of America and faithfully defend the United States from any or all attack by foreign or domestic forces, and forswear any of allegiance or obedience to the Japanese emperor, or any foreign government, power, or organization.
質問28 あなたは、アメリカ合衆国に無条件で忠誠を誓い、外国または国内からのいかなる攻撃に対しても、この国を忠実に守りりますか。その上、日本国天皇、またいかなる外国政府、権力、組織への忠誠や恭順することを否認しますか。
光子は、この忠誠登録のことなど思い出しながら、きっとこの人は、混乱したキャンプ、そして親子関係、友人関係などを思い出しているだろうかと思った。
「佐藤さん、あなたもイタリアなどで戦われたのですか。」
「いや、わしは軍隊には入らなかった。」
「そうでしたか。何故ですか。何故、志願なさらなかったのですか。」
佐藤さんは黙ってしまった。30秒、1分と沈黙のときが流れた。声のない時間が過ぎっていった。光子は聞いてはいけないことを聞いたのだろうと思うと、なおさら声が出せなくなってしまい、黙っていた。と突然、
「わしはそのことについて話したくない」との返事があった。
それで光子は話題を変え、今度の日曜日子供たちによる礼拝があって、佐藤さんの大きなお孫さんたちも歌ったりするから教会にいらしてくださいと誘ったりした。そのあとしばらく取りとめもないことを話し、佐藤さんの話をきいたりした。
佐藤さんも、また、日米戦争という中で苦しみを味わった一人なのだ。戦争後の何十年の間、佐藤さんの心に去来したものは何だったのだろうか。憤り、悲しみ、苦しみ、憎しみ、そして恥もあっただろうか。
佐藤さんはリインカーネーション(輪廻)を信じているとのことで、サルが長い、長い年月をかけて人間になったように、いつか自分も何かに生まれ変わり、また生まれ変わり、最後には再び人間に生まれ変わるだろうと言った。佐藤さんはどんな人間に生まれ変わるとは言ってなかったが、きっと心に悲しみも、苦しみも、憤りも、恥もない人に生まれ変われると思っているのだろう。
涙をぬぐってくださる天国に佐藤さんが行かれるように。聖霊が働きかけ、佐藤さんの目を開き、愛に満ちたイエスを受け入れることができるように、祈るばかりだ。

442部隊で活躍したらしいマイケル伯父さんのことだけど、これまで何回伯父さんに会うチャンスがあっただろう。シカゴで、ジョージアの伯父さんの家で、最近は442部隊のリユニオンがラスベガスで行われていたので、そこにも三度ほど訪ねた。その度に光子は伯父さんに442部隊でのことを聞いたが伯父さんは何も言わなかった。
ところが三度目にラスベガスで一緒に昼食をしたときのことだった。光子は伯父さんたちに、
「442部隊のリユニオンでは何をするんですか。」
すると、いつもはジェームスさんが面白おかしく上手な日本語で答えてくれるのだが、その日は、ジェームスさんが口を開く前にマイケル伯父さんが、
「あの戦いは凄かったよ」と光子の顔を見ながらぽっつりと言った。みんな黙って次の言葉を待った。でもマイケル伯父さんは何も言わなかった。
「伯父さん、凄いって、どんなだったんですか。」
「うん。今さっきまで側にいて話していた友達が、次の瞬間には死ぬんだよ。」
「そうですか。」光子は何かいうのが恐ろしいようだった。
「あんなに沢山いた人が半分以上、死んだり、傷ついたりしたんだ。その傷ついて倒れている友達をおいて前進しなければならないんだよ。終わってからその場所を見に行ったけどね。」
ジェームス伯父さんが、
「テキサス大隊の211名を救出するために、442部隊では約800名が死傷したんだよ。」
「井上という名前の人たちも沢山いたよ。自分はどうして死ななかったのか。傷つかなかったのか。怖くて隠れていたのかもしれない。あのとき自分は死ぬべきだったんだ。あの戦いは凄い戦いだった」とマイケル伯父さんは言って、昼食を食べ始めた。
皆は一時何ごとが起こったのか分からない感覚だった。マイケル伯父さんを慰める言葉などなかった。伯父さんは、そうやって死んでいった友人たちのことを思い、自分は死ななかったと責めながら、長い一生を送ったと思うと、本当に戦争は恐ろしいと、光子は思った。ジェームス伯父さんが、その場の空気を和らげるためか、
「マイケルとイタリアのニースの町で会ったときは、びっくりしたな。」
「どうしてイタリアのニースにいたんですか。」
「マイケルはテキサス大隊を救い出したあとの休暇だったよね。」
「うん、そうだよ。」
「わしは人数の少なくなった442部隊の補給団として、ニースで合流するために行ってたんだ。ニースのあの賑やかな町の中を歩いていたら、向こうからマイケルが来るじゃないか。わしは、マイケルか。足はあるのかって聞いてしまった。日本では幽霊には足がないって言うだろう。わしはマイケルの幽霊かと思ったんだ。だって、マイケルは死んだという公報が入っていたからね。」
「そうだったのかい。」
「そうだよ。それで直ぐに収容所の兄さん、姉さんたちに知らせるため電報を打ったんだよ。でもそれは嬉しい電報で本当に良かった。」
それからしばらく442部隊のリユニオンのことについて話、昼食をして別れた。
マイケル伯父さんの一生も戦争という中で味わった苦しみを背負っての一生だった。ただ伯父さんの場合は、442部隊にいた日本人チャプレンが、戦後シカゴで教会を建てた。マイケル伯父さんはその教会のメンバーとして、奥さんともどもシカゴにいるときは礼拝を欠かさなかったそうだ。勿論、ジョージアに行ってからも、同じ流派の教会に出席していたが、最近、奥さんの病気のあとは、近所にある教会へ変わり、毎日曜日に礼拝に出席しているとのことだ。
マイケル伯父さんは、イエスを見出し、イエスが言った「世が与えられない平安をあなた方に与える」との約束、その平安をいただき、苦しいなかにも平安と喜びで生活したことと思う。いつの日かマイケル伯父さんとまた会うことがあったら、イエスを中心に天国で会える確信を話し合いたいと思っている。
09 09-25 442nd 1
1992年井上家リユニオンの時の写真
兄弟姉妹5人のうち一人かけていた。
後ろ一番左端が長男、勇さん、そしてジェームスさん、マイケルさん。
ジェームス・マイケル伯父さんたちの軍服姿がないのが残念。
一番前にいるのが一人娘のマツエ伯母さん
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続きも読んでね。
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生活

コンブ茶(紅茶きのこ茶) ‐‐‐ 続き

オハイオ久美子さんを訪ねたときにコンブ茶(日本名・紅茶キノコ茶)を紹介されました。そのことを「岩の上の家」のブログの小説「井上家の人々・VIII強制収容所へ」のcontinueに書きました。

その後、Google日本語で「紅茶キノコ茶」のことを調べたら、それはそれは沢山説明がありました。その説明の中の多く(殆ど)が、酢酸菌(乳酸菌)を炊き出した紅茶の中に入れて、醗酵させて作るとありました。

酢酸菌とは何かを調べたら、それは酢を作る菌で、酒造所では酢酸菌を恐れ、一滴でも酒造中の中に入ると酒ではなく、酢ができてしまうとの説明までありました。

09 09-20 Kombucha 01 09 09-20 Kombucha 01-2
ところが昨日、しほうさんのご主人がどこからか入手した飲料水になっているコンブ茶(紅茶キノコ茶)を飲み終わったので栄養価の表示(写真がそのボトルの表と裏)読みました。そこにはacetic acid(酢酸菌)ではなくfolic acid(葉よう菌)となっていました。

folic acidとは、光子の旦さんの言、ビタミンB complexの中に入っているそうです。瓶のラベルの栄養素としてもビタミンBがいろいろ載ってました。

Folic Acidを調べたら、日本名で分かるように、この菌はホウレン草の中から見つけたもので、早くから造血剤として使用され、貧血の人、妊娠したい人、また妊婦には必要品とされていたそうです。新しい血ができるのですから、活力がつき、心臓にも、また癌にも良いと書かれてました。

ということで、光子が、コンブ茶(紅茶キノコ茶)の代わりに、お酢を飲むのはどうでしょうかと言った質問の答えは「ノー」ですね。でも酢酸菌なのか葉酸菌なのか、ここのところをもう少し明確にしたいものです。でもどっちにしても郁子さんに早くコンブ茶のもとを育ててもらって、光子も作ることにします。

旧約聖書の中には食べて良い食品とそうでない食品のリストがあります。その一つ一つをよく調べると、神は人の体のためにならないもの(特にコレストロールの多いものなど)を食べてはいけないと仰っておられるようですね。その中の一つで、光子には守れないものがあるんですよ。それは「海の底を這うもの」それは蟹、ロブスター、海老などです。何と言われてもこれらを食べないではいられませんですね。
新約聖書では、ペテロが昼食時にお腹をすかしていたとき、神は幻をもってペテロに教えたんですよ。空から食べてはいけないと言われていた多くの動物をお腹が空いているペテロに与え、これらを食べなさいと言ったんです。ペテロは、それらは食べていけないものですと答えると、神は私の造ったものは全て清く何を食べてもよいと仰ったんです。
キリスト教にある多くの規則を全て成就するために来たとイエスは仰ってくださったのです。それは食品だけでなく、人の全ての罪、過去、現在、未来の全ての罪は、イエスを信じた人にはないんです。何と素晴らしいことではありませんか。

霊の在住する体を健康に保ち、元気でいるために、葉菌の入っているグリーンを沢山食べてください。今年の1月に書いた投稿文#659「おいしい野菜の食べ方」に、アフリカン・アメリカ人のグリーンのレシピと、日本式グリーンのレシピを載せましたのでご利用ください。

フキを沢山貰ったので煮ました。そのレシピを書き、写真を追記に載せました。見てください。
しほうさんに葉も食べられるのよと言われて葉も煮ました。
とっても美味しかったです。コメントもお願いしますね。

雪花(六花)さん、励ましてくださって、ありがとう。やっと書けました。先月くらいから書くことが難しくて困ってます。これからも「どうしたの?」って言ってくださいね。宜しくお願いします。
プロフィール

Tsukasa Hiroko

Author:Tsukasa Hiroko
初めの家は塵でできており、砂の上に建っていました。
四十年前にシカゴで木の家を岩の上に建てさせていただきました。
今はレンガの家が岩の上に建つようにしていただいたようです。
金の家になれる日を望んでいます。

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