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雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ち付けても、倒れることはない。岩を土台としているからである。

伝記 井上家の人々

井上家の人々-X.日系人強制収容所からシカゴへ

井上家の人々は、第二次大戦前、カリフォルニア州オクスナード市に住んでいた。お祖父さんとお祖母さんは、一階が店となっているところで日用品、雑貨、食料品を売っており、宿屋もしていた。パパ(長男の勇さん)はレタスとストロベリーを栽培し、平凡に、家族一緒に過ごしていた。お祖父さんとお祖母さんの若いときを思えば、今の平安な暮らしは夢のようだった。
しかし1940年ごろになったとき、日本がアメリカと戦争を起こすらしいとの噂が流れ、日本人の中にいろいろな情報が流れ、人々は動揺し始めた。
その悪いニュースは、井上家にも届き、特にお祖父さんとお祖母さんの心を苦しめた。若いとき日本からメキシコに行き、苦しみ多かった生活のあと、やっとやってきた家族共々のこの平凡でも平和な生活。四人の孫も与えられ、これで一生ここで家族に囲まれ終われるだろうと思っていた矢先のこと。この家族との生活か、日本の親族そして天皇陛下か、二つに一つを選ばなければならないことになってしまった。この選択の苦しさは、若いときにした苦しみ以上の心の苦しみと悲しみだった。お祖父さんとお祖母さんは、日本の家族や天皇陛下には弓を引けないと、日本に帰る決心をした。そして日本行き最後の船にやっと乗れることが決まり、日本に帰って行った。
パパは日本に帰るお祖父さんに、目の前にレタスとストロベリーの収穫があったので全ての貯金を持たせてやった。パパの弟妹たちもできるかけのことをして、お祖父さん、お祖母さんを送り出した。
1941年12月7日、日本のハワイ奇襲攻撃で日米戦争は始まった。日本人、日系人たちは、予想はしていたものの、その始まりには驚き、怒りさえ感じ、これからどうなるのかと恐れた。
その恐れが現実となり、大統領令No.9066により、西海岸居住の日本人、日系アメリカ人は、すべて日系人強制収容所(キャンプ)に入れられることになった。因みに、英語ではこのキャンプのことを“Relocation Center”と呼び、日本人、日系人を災いから守る一時の居住地と言った。しかしキャンプには鉄条網が張り巡らされ、銃をもった兵隊が24時間中、キャンプのあちこちに建てられたタワーから見守っており、出入り口に近づいたり、鉄条網に近づいたりすると射撃された。二年くらいは、出入りの自由は全くなかった。日系人強制収容所と呼ぶのが当たり前だとパパは思っていた。
そんなことで、パパは予定していた収入源であるレタスとストロベリーを二束三文で手放さなければならなかった。預金もないまま、キャンプに入ったのである。キャンプへ行くといっても、乗った汽車の窓には黒いカーテンが惹かれており、殺されるのだとの暗い噂がながれ、恐れを感じてキャンプ入りした。
そのキャンプでの生活も四年近くになり、自由に出入りもできず獄やにいるような状態だったのが、政府が各地にある合計9つののRelocation Centersの維持が経済的に負担となり、キャンプを出てもよいと言い始めた。強制的に入れておきながら都合が悪くなると出てもよいなどとの政府のやり方に、パパは憤りを感じた。しかし自由になれることの喜びが強く、パパの妹さん夫婦は若かったこともあり、早くにキャンプを出て行った。モンタナのほうに農家の仕事があるとのことで、そこに行った。
キャンプを出てもよいと言われても、喜んでばかりはいられなかった。キャンプでは粗末なところでも住居があり、家族で一緒の食事など考えられなかったが、まず衣食住は与えられていたのである。その上、食堂などで働くと賃金が与えらた。パパもそこで働いていた。パパはその食堂で起こったことを考え、差別とは何と悲しいことかと思った。それは日本国籍の人は働かせてもらえなかった。一人の日本国籍の婦人が、料理が上手で日本食を美味しく作って食べさせてくれていたが、日本国籍というだけで食堂から追い出されたんだから。その人の娘が、ママはこのキャンプでは好きな料理もできず、退屈で死にそうなので賃金などいらないから働かせてくると言ったのに、追い出されたんだったな。あれは差別だと思うなあなどと食堂の人たちと話し合ったりした。
その食堂もそろそろなくなるらしかった。パパは、キャンプを出てからどうすればよいのか。仕事をして家族を養っていかなければならないのだ。貯金など殆どなく、仕事をすると言っても、今まではレタスとストロベリーの栽培をしていただけで、何の技術もあるわけではなく、学歴だって日本で小学校を卒業し、アメリカに来てから高校に通ったのだが、英語が分からず、やっと卒業させてもったようなものだった。数学が良い成績だったので学校のほうでも、それを認めてくれたのだろう。
あれこれと考え、心を惑わして、恐れているうちに月日はどんどん過ぎて行き、とうとう8月15日にを迎えた。その日、第二次大戦が終わったのだ。それは日本が敗戦を迎えた日だった。日本で子供のころを過ごしたパパとママにとっては、戦争が終わってほっとしたものの、日本が戦いに負けたとは悲しい知らせだった。今まで負けたことがなかった日(ヒ)の本(モト)の国。とても複雑な気持ちだった。考えてみれば、パパは自分もアメリカ国の兵役に服すべく入隊したのだ。何と日本に矢を放すつもりだったのだろうか。考えていると恐ろしくなった。背が小さく、体の小さいパパには合う軍服もなく、年齢も30歳を過ぎていたためだろう、直ぐに帰されたのでよかった。パパは心を過ぎ去るこれらの思いを頭を振って、取り除く努力をした。考えてもしょうのないことだった。
パパは、子供たちの声に、突然現実に引き戻された。
「パパ、デックおじさんが呼んでるよ。」
「デックおじさんのところに、今すぐ来てって。」
「デックおじさんのバラックに行くんだね。」
「そうだよ」と言って、二人はまた外に出て行った。
元気に飛び回って、遊んでいるこの二人の子供を見て、パパは考えた。最近、友人の誘いで通いまじめた教会で、全てのことをイエスに任せて平安に過ごしなさいということを聞いた。このキャンプを出て、どこへ行けば良いのか。どうすればよいのか。日本の負けたことでも心が痛いし。これらを全て任せるのと平安がくるのか。パパは、そんなことは自分にはとてもできないことだ。神に任せて、自分はどうすればいいのだ。考えて、計画して、行く先を決めなければ何も決まらないじゃないか。神に任せたら、神は電話でもしてくれるというのか。何もしないで、考えないで、じっとしているだけなのか。分からない。ただ何もしないでいるなんて。でも今の子供たちの様子を見ていると、あれが全てを任せるということなのかもしれない。あの子たちはこれから何が起こるか分からないのに、パパがいるからと安心しているのだろう。楽しんでいる。牧師がいうように、あのようにイエスに任せられると平安に過ごせ、恐れも、心配もなくなるのだろうか。
やれやれまたいろいろと心を騒がせてしまった。デックのところに行かなければ。デックはパパの直ぐ下の弟だった。何の話があるのだろうかと思いながら、
「ママ、デックさんのところに行くよ。何か話があるらしいんだ。」
「何の話だろうね。きっとキャンプを出る相談だね」とママが言いながら、帽子を出してくれた。パパはその帽子をかぶってデックのバラックへと向かった。
「ハロー、デック。」
「勇さん、今いろいろ考えていたんだよ。暑いけどお茶はいつでも美味しいよ。一杯どうだね。」
「うん。頂くよ。」パパは暑いお茶を貰ってフーフーしながら少しづつすすった。
「本当に、美味しいお茶だなあ。」
「そうりゃ、よかった。ところでね。このキャンプが9月24日に閉鎖されるらしいという話は聞いただろう。」
「ちょっと、そんなことを聞いたなあ。あと一ヶ月ないじゃないか。」
「それなんだよ。それであちこち話を聞いてると、シカゴにはいろいろな仕事があるらしいとのことなんだよ。どう思うかね。」
「どう思うと言われても、どんな仕事があるかわからないが、仕事があるならそこが一番だろうなあ。」
「でもシカゴはギャングの街で、酷く寒いらしいんだよ。」
「ギャングの町といっても自分達には関係ないと思うけどね。でも寒いのはどうかね。」
「勇さんは寒いのが苦手かね。」
「いや、わしは大丈夫だけどね。子供たちとママなんだよ。」
「うん、正枝さんは体が弱いからね。じゃ、考えてみるかい。」
「でも、仕事があるところなら、それがなんといっても一番大事だからな。」
「うちのもそういってるよ。うちは女の子だから寒さがちょっと可哀そうだけど、子供は親がいるところなら、どこでも大丈夫なのだよ。」
「それさな。今、自分も子供たちを見て考えてたんだよ。将来何が起こるか分からないのに真っ黒になって元気に遊んでるから。」
「子供たちは大丈夫だよ。でも勇さん、正枝さんには相談したほうがいいなあ。正枝さんに話したあと、また相談しようじゃないか。」
「そうしてくれるか。ママには言ったほうがいいからなあ。」
「じゃあ、そうして。またあとで話し合おう。」
「それじゃ、なるべく早く、直ぐに戻ってくるから」と、パパはデックさんのバラックを出て、暑い中、自分のバラックに戻りながらまたいろいろと考えた。
仕事があるということが何よりも一番の問題だと思うから、寒さなどどうこう言っていられないさ。ママも大丈夫だろう。二世部隊で活躍し、最高勲章パーパル・ハートを貰い、勇敢な兵士達と歓迎された者たちも、軍服を脱げば一介の日系アメリカ人になってしまい、その若者達が仕事を探しに行き、日系人として差別され、ジャップと呼ばれ、仕事ももらえないという噂も流れてきていた。また妹たち夫婦も、農家の手伝いの仕事があるからと、早々にキャンプを出て行ったが、やはり日系人と言われて差別され、契約の実行がされず、酷い待遇をうけている様子を知らせてきていた。
デックさんもパパも子供たちを伴って、このキャンプを出て行く将来に、少なからず不安を持っていた。家族が雨露をしのげる家、食べるもの、衣服などを手にして生活していかなければならないのだから、どんな仕事でも仕事がありさえすれば、寒さなどと言っていられないと考えながら歩いていた。
バラックに帰り、パパは、デックさんの話をした。案の定、ママは寒いところということに少し問題を感じたらしかった。ここ暑い砂漠から、これから冬になろうとしている時期に、そんな寒い街に行って、仕事もないのだし、どうやってしのげるだろうかと心配し出した。ママが一度心配すると、その心配は止らなく、雪が坂を転がって雪を加えて膨れていくように、大きな心配となるのだった。それはママの一つの病気と、パパはいつもは気に留めないようにしていたが、今日は少し違うと考え、ママの心配が膨れないうちにと、デックさんが言っていた仕事があるとの話を強調した。
ママは、仕事があるということは本当に重要なことだねと考えを変え始めてくれた。パパは、良い仕事がもらえるように希望をもって、寒くても生活していけるように願って、デックさんたちが提案しているシカゴに一緒に行こうと促した。ママもやっとそのことを理解し、デックさんたちも一緒なのは心強いと、やっと相談がまとまった。
パパは、早速デックさんたちのバラックへまた出かけた。早くしないと良い仕事がなくなってしまうかのような錯覚に襲われ、一刻も早くシカゴに行く相談をしたかった。急ぎ足でデックさんのバラックに行き、ママがやっとO.K.してくれたことを告げた。デックさんも、ママが納得したことを喜び、これからどうすかと相談した。
一日も早く汽車の切符を購入すること、シカゴに着いたらどうするかなども話し合った。デックさんは、シカゴに出て行って下見をしてきた人と話をしていた。まずアップタウンという街に宿を見つけること、そのあとのことはまた相談することにして、まずは切符の手配から、そして家では荷物のまとめをはじめ、いつでも出られるようにする準備しようということになった。パパは一応キャンプの主な人たち、また米軍の人たちにも、キャンプを出ることを知らせ、スムースに出られるように取り計らうことを約束した。
いよいよキャンプを出るのだ。これからどうなるのか、賽は振られ決まったのだ。今ここで何やかやと心配してもしょうのないことは分かっている。子供たちのように神のみ手に将来のことを委ねてみようなどと考えながらバラックに帰った。
ママは心配を顔一杯し現し待っていた。そのママに、パパは明るく、
「さあ、大変だ。荷物をまとめなくてはならないよ」と言った。
「そう、シカゴに行くことに決めたんだね。良い仕事が見つかるといいね」と言いながらバラックの中を見回し、
「スーツケース一個づつ持ってここに来たのに、三年半経つうちにあれこれと増えてしまったね。」と言った。
「三年半も経てば子供たちの背も伸びたし、軍隊に行って着られない服も貰ってきたし、いろいろ貯まったね。」
「でも家具も、一切の家財道具も私たちのものじゃないし、持って行くものをまとめるのは簡単だよ。」
「住めば都とは良く言ったね。こんなところでも、いざ出るとなると気になるね。」
「パパがいろいろ作ってくれたので住みよくなったからね。本当に住めば都だね。それでいつここを出るの。」
「デックさんが切符の手配をしてくれるとのことで、切符が手に入ったら知らせてくれる筈だから、いつになるか今は分からないよ」とパパは言って、バラックのいつもの座る場所に座り感慨深くあたりをもう一度見回した。

「パパ、この汽車には窓があるよ。外が見えるよ。」
「パパ、黒いカーテンのない汽車だね。シカゴにはいつ着くの。」
子供たちはここに来るときに乗った汽車を忘れられないのだなあ。あのときの汽車の中は異様な雰囲気だったから。この光に輝く明るい汽車の中は、これから行くシカゴに夢を託したくなるような気持ちにを起こさせ、いつシカゴに着くのか待ち通しかった。
その輝かしい汽車でシカゴにつき、人々が駅の中をあちこちしているのを見て、自分達は、自分の足で立ち、歩み、自分の思うところに行き、生活を立てていくのだ。これが自由なのだろう。自由であることは何と自分というものを行かせるものか。パパはその自由の気持ちを満喫した。これからはどんなことがあっても獄やの生活はしたくない、子供たちとこの自由であることの大切さをじっくり話し合おう。
アップタウンにある宿に落ち着いたが、一部屋の狭いところだった。そこに二家族、8人が宿ることになった。そんなところでも、ママは、そこで何年振りに家族だけのために料理ができることを喜んだ。ストーブなどなかったが、エレクトリックの鍋を買ってきて、それで作れる料理をあれこれ考えて作り、家族だけが顔を合わせて食べたご飯は美味しかった。座るところもなく、フロアに座って食べたのに、みんなであれこれと家族のことを心配したり、将来ことを話したりしながら、美味しい食事を楽しんだ。
リックさんとパパは、家を探し、職を求めてあちこちと毎日歩き回った。そしてとうとう三階建てのビルを見つけ、一階にデックさんの家族、二階にパパの家族、そして三階は軍隊から出て帰ってきたら住めるようにと、マイケルさんとジェームスさんのために用意した。そんなことでアップタウンの宿には2週間いて、自分達の家へと入ることができた。
そのあとパパはミネソタ・マイニング製作所(3M)の前身であるリビエラ・カメラという会社に職を得て働き、家族を養っていくことができた。
パパはイエス・キリストを信じるようになって間がなかったが、神に全てを任せるということを学ばせてもらったこの経験を大切にした。
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カルア・ピッグのレシピを続きに載せたので、見てください。そしてコメントもお願いね。
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ジャーナル

ターキーと09感謝祭

明後日は感謝祭、今年もまた娘のところで感謝祭のデナーをすることになっている。どんな料理が出るか、また写真を載せますね。去年書いたクリスマスのと同じようなものでしょう。

感謝祭は11月の第四木曜です。その前の日曜日には、教会でも毎年感謝祭ランチョンを行います。井上家家伝のターキーの料理を忘れないように、光子はこの日曜にはいつもターキーを料理します。娘のところでは、娘のボーイフレンドがターキーを焼き、光子はハムを持って行きますから。

井上家家伝のターキーのレサピ
去年は23ポンドのターキーを焼いたが、今年は20ポンドのターキーは重すぎたので15ポンドにした。冷凍の安価なターキーを購入。冷蔵庫の中で解凍するとバクテリアなどの発生の防止になる。

肉が乾かないように、2ガロンの水に、2米カップの塩を入れた塩水の中にターキーを一夜漬ける。塩水ではなくアップルサイダーを使うと肉に甘味がついて美味しいとのこと。冷凍庫はスペースがなかったので、ここは北向きの寒いポーチ。ここにターキーを一晩置いた。
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ターキーの中にあったNeck Boneその他のZizzards(内臓)そして人参、ジャガイモ、セロリ、パセリの茎などでストックを作り始める。

スタフィンのレサピ 前の日からプラスチックの袋からだして乾かしてあったパンを1/2インチの角切り、続けて乾燥させる。玉ねぎとセロリとパセリはみじん切りに。それからターキーのレバーもみじん切りに。これら野菜とレバーを胡椒(1tsp)、鳥類のシーズニング、塩少々と一緒にソテーする。その中に刻んだパンを入れて、さらにソテーする。
これは井上家のスタフィンで、その他、ナッツやソーセージ、アーブなどを入れるレサピもある。
刻んだ野菜とパン                 ソテーしたあとの出来上がりのスタフィン
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ターキーを塩水から出し、水気をよくふき取り、お腹の中と首に1/2のバーターをいれる。そのほかターキーに糸をかけたときバターを二本ほど体中に塗る
ネックのほうから撮った写真         スタフィンを詰めたターキー、糸をかければ出来上がり
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スタフィンが入っているターキーだと、オーブン325度で、普通より二時間くらい長く焼く必要がある。今年のターキーは15ポンドだったし、スタフィンが入っているのでターキーを焼く時間は6時間。
朝、教会に持って行かなければならないので真夜中の12時にオーブンに入れ、朝6時に出した。半分寝ていたため、出来上がりの丸のままのターキーの写真を撮り忘れた。お腹の中、首からスタフィンを出し、手足をばらばらにしてから思い出したので、スタフィンと手足ばらばらのターキー。それから綺麗に身を切ったターキー。これを教会に持っていった。美味しかったのでしょう、直ぐなくなっちゃったから。旦さんが食べようとしたときにはターキーがなかったそうだ。
09 11-24 Turkey 6

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教会の感謝祭の礼拝の写真。腕が悪いのじゃなくて、きっと写真機がいけないのでしょうか。ぼやーっとしてます。遠距離はよく出ない写真機だから。
09 11-24 Thanksgiving 1
ここからは教会のランチョンに持ち寄られた食品の数々。この教会のメンバーは世界的人種が出席しているので、お食事も世界的種類の数々。
まじめの二つはご飯、パンなどの穀物類
09 11-24 Thanksgiving 8 09 11-24 Thanksgiving 6
次の二つは肉類。向かって右はカウラピッグ。カウラピッグが二皿もあった。この絵のカウラはホウレン草を使って作ったカウラだそうだ。光子も今度ホウレン草でカウラを作ってみよう。そのときはそのレサピをまた書くから宜しく。
09 11-24 Thanksgiving 5 09 11-24 Thanksgiving 4
最後がデザートのテーブル
09 11-24 Thanksgiving 3 09 11-24 Thanksgiving 2
説明しませんので創造してみてください。

続きには簡単に感謝祭の説教をかきますので読んでください。

シカゴあれこれ

ドギーバッグ I

先月は二度も美味しいレストランに連れて行って貰ったのに、二度ともカメラをもっていかないで残念無念。でもチャンスだからシカゴに来て、ああいいことだなあって思ったこと、ドギーバッグについて書きますね。

Hirokoが何かしてあげたんで、そのお礼にって。旦さんもどうぞとのこと。旦さんは外で食事したがらないから行かないと思ったのに、連れて行ってくれるレストランがシカゴで一、二と言われるステーキ・ハウス。旦さん、大喜び。Hirokoはお金を払ってステーキなんてと思うし、旦さんは刺身などは家で食べるものと思ってるので、なかなか外での食事ができないのが我が家。でもこのたびは旦さん二つ返事で連れて行ってもらった。そこはシカゴから北西に一時間ほどドライブしたところにあるMorton Steak House。
シカゴのがなかったけどロサンゼルスのがあったので、そのネットのアドレスを載せておきますので見てください。美味しそうなステーキが見えますよ。
モートンズ ステーキ ハウス ロサンゼルス
Hirokoはステーキを食べなかったんですよ。それで「美味しそうな」になるんです。注文する前に、ステーキ・ファッション・ショーかな。ステーキの数々をワゴンに乗せて持ってきてね。さあ、これがMortonの美味しいステーキですって。ショーよろしくご披露してくれるんですよ。Hirokoはこの時点はまだステーキを食べるつもりでいたんですよ。だってMorton Steak Houseですからね。でもねショーの最後になって、その他、貝に載ったフレッシュ・オイスター(生牡蠣)も美味しいですよというんですもの。
わー、やった。Hirokoはオイスター、ステーキは取り止め。Octoberで「R」の月でオイスターは美味しい筈!
連れて行ってくれた人と旦さんは、フィレミニョンの柔らかくて口の中にいれたら溶けるようなステーキを食べました。
アメリカでオイスターを食べていつも残念だったのは、トマトケチャップとクラッカーがついてくるんですよ。さすがここではレモンとお醤油がありました。とっても美味しかった。

次に連れて行って貰ったのは、海のもの、特に蟹が専門のレストラン、Bob Chenns Crabhouseで、中国人経営のお店でした。ここには勿論旦さんは遠慮しますって。
ここでもオイスターを食べられて、Hirokoは嬉しくって自然に顔がニヤニヤとほころんじゃった。オイスターは前菜で食べたので、パンも一緒に来ましたが、そのパンも美味しかったこと。
アントレーは、蟹、ハワイの蟹でした。とっても美味しかった。それに海老のフライ・ライス。
Bob Chennesのアドレスも載せておきますのでみてください。
Bob Chinns Crabhouse

ごちそうさまでした!

さてBob Chenneでドギー・バッグを貰って帰りました。食べられなかった蟹とパンも貰って帰れるんですよ。お皿の向こうに箱が見えるでしょう。その中に入れてくれました。
09 11-20 Doggie Bag

このドギー・バッグのことで面白い話があるので続きに書きますから、読んでコメントもお願いね。

今日の聖書のお話
聖書の中には、人によくしてあげるときは、右の手がしている良いことを左の手に知られないようにしなさいとか、お返しができないような人に善をして天に宝を罪なさいなど、善いことをする厳しい基準があります。
Hirokoはなんでこんな素晴らしいお返しをしてもらったのか分からないのです。何はともあれ、Hirokoがしたらしい善いことで、今回は天に宝を詰めませんでした。残念。
でも美味しいものを二度も食べさせて貰って、こちらこそ感謝、感激。

シカゴあれこれ

インディアン・サマーその二

十一月に入って、本格的なインディアン・サマーがやってきた。十一月六日金曜日から七十度(二十二度C)以上になり天気はいいし、本当に夏のようだった。
丁度その週末、Glen Ellynというシカゴの郊外の街に住んでいるお友だちのところに泊りに行って、楽しい一泊を過ごしてきた。その人のところからMorton Arboredum(Mortonという塩の会社を作った一族が、植物でも草木を自然のままに残そうと、広い、広い公園というか場所を作った)まで車で十分くらいなの。前からMorton Arboredumには行きたいと思っていたので、連れて行っていただき感謝。そのお友だち(Mortonの友と呼びましょう)は毎日そのArboredumで一時間は歩くんだそうだ。
インディアン・サマーで暖かくて、歩くには最高だったけど、時期としては二、三週間遅かった感じ。でもこの公園が見られただけで最高。そうだ、ここの入園料は一人十一ドル、でもMortonの友は一年の会員権を持っているので車ですーーーっと通って終わり。
じゃ写真の説明。駐車場を囲っている綺麗なススキ。どこに駐車したか忘れないように。
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アジサイの家族で、葉が柏に似ているので柏アジサイというのだそうだ。綺麗な赤だった。
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下の二枚の写真は続いている筈。駄目だね。今度は気をつけて撮るね。写真じゃ分かんないけど、綺麗なところ。Mortonの友の推薦の場所。
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黒っぽく見えるのは針葉樹林で、肉眼では深い緑。その前に少し赤みがかったのがあって綺麗でしょう。それに枝だけの木が多い。Mortonの友のハワイのお友だち一家が五歳の子供を連れて、冬に来たとき、Mortonに連れて行ったら、その五歳の子が、木がみんな死んでるって言ったんだって。そうよね。ハワイでは葉がない木なんて見たことないでしょうね。うまく表現したなって関心しちゃった。本当に冬になったらシカゴでは死んでいる木だけだものね。でもMortonは雪が枝につもった風情も素晴らしいって。春先、花が満開に咲いたときはきっと最高ね。
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ここからはMortonの友の家。これが家の半景。裏に素晴らしい庭があるのよ。右は大きな、大きなクリスマス・ツリー。この木にデコレーションしたら素晴らしいクリスマス・ツリーになるね。
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台所。その向こうに見える窓の側のテーブル。ハイビスカスが「いらっしゃい」て歓迎の意味でたくさん咲いていてくれた。そこで夕食したの。ここ南なので冬は暖房要らないって。
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おでんの夕食。美味しかったよ。たくさん食べ過ぎちゃった。おなか空いてたから。
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居間とダイニング・ルームを仕切っている暖炉。
09 11-10 IndianS2 - 1-4

Mortonの友への手紙を続きにかいたので読んでください。

ジャーナル

ハローイン 09‐10‐31

シカゴではハローインになると街の中にいろいろなもの、とくにかぼちゃ、幽霊、お墓、くもの巣など、恐ろしいものが飾られる。どうしてハローインになると、このように恐ろしいものが飾られるのか、続きに書くので読んでください。そしてコメントもね。
近所に飾られたもの。幽霊のも撮ったと思ったのに、ないのが残念。
09 10-31 Halloween3 09 10-31 Halloween4
ハーロインにつきもののプラスチックのかぼちゃの袋に、落ち葉などを詰めて飾りに使ってる
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今年のハーロインは土曜日だったので、光子の行っている教会では近所の子供たちを集めてハーロインのパーティーをやった。教会とハーロインは関係ないのだが、子供たちはハーロインを楽しみにしているし、教会で集まりをすれば安全と思うのでしょう、たくあん来てくれる。今年のハーロインの集まりで、光子は昼食の用意をしたので写真を撮る時間がなく、写真の上手な人にお願いした。そうそう、土曜日は外に遊び場を作る予定だったのでお天気になるようにみんな祈ってたの。そしたらハーロインの前日の金曜日の素晴らしい夕日にびっくり。家の中がオレンジ色になったのよ。その夕日の写真から。
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教会の中にはいろいろなかぼちゃが飾られてた。光子の子供たちが小さかったときは本当のかぼちゃをくりぬいて顔を作ったけど、今はあまり見かけない。プラスチックのかぼちゃが本当のように見えるし。光子の行っているカイロでも、またお医者さんのところでも、このプラスチックのかぼちゃが飾ってあった。
09 10-31 Halloween5
ここからはその人が写してくれた写真いろいろ。説明はいらないでしょう。写真でハーロインを楽しんでね。
「デボン教会へようこそいらっしゃいました!」
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ホットドック(グリルで焼いたのよ) チリ そして インドカレーとご飯
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キッチンクルー やれやれ大変だと一休み
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ダイニングルーム風景
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パーキングロットの遊び場
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教会の中ではクラフトとパペット
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最後にコスチュームのいろいろ
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プロフィール

Tsukasa Hiroko

Author:Tsukasa Hiroko
初めの家は塵でできており、砂の上に建っていました。
四十年前にシカゴで木の家を岩の上に建てさせていただきました。
今はレンガの家が岩の上に建つようにしていただいたようです。
金の家になれる日を望んでいます。

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