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雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ち付けても、倒れることはない。岩を土台としているからである。

翻訳物

ビリー・グラハムの祈り

2010年、90歳になったビリー・グラハム
10 04-28
ビリー・グラハムの語る言葉の真実さ...それは報道機関が土砂を投げかけられないのである(言い換えれば、ビリー・グラハムが言ってきたことは全て真実で、議論をする余地がなかった)...素晴らしいことだ
また、ビリー・グラハムは先を見ることができ、言っていることは的を得たもので、それらで世の中にアピールしてきた。今また、ビリー・グラハムは、この国に何が起こっているかを正確に見ている。

ビリー・グラハムの米国そして人々のための祈り

「ご在天の父なる神よ、今、あなたの前にぬかずき、罪の許しを請い、あなたのプランを見ることができるように、導きを請い願う。私たちは、主よ、あなたのみ言葉が、「と呼ぶものに警告を発してしていること」を知っている。しかしこの国はそのみ言葉の警告のように行っている。私たちは、霊的な平安を失い、価値基準を逆にしている。

宝くじと呼んでそれを売り、貧乏人から搾取している
生活保護と呼んでそれを与え、怠け者に報いている
人生の選択肢と言って、生まれていないお腹の子を殺している
堕胎を助ける人を撃って、正当なことをしたまでだと言っている
子供たちの個性を尊び育てるためだと言って、子供を戒めず、養育しない
権力を悪用し、政治的だと言っている
意欲を掻き立てるためにと言って、隣人の持ち物を羨み欲しがるよう仕向ける
使うべきでない悪い言葉を使ったり、ポルノのようなものを見たりして、意思表現の自由だと言っている
人ため、国のためになった人たちを笑って、新しい世になったのだと言っている

主なる神よ、今日、私たちを探り、私たちの心を知ってください。全ての罪からきよめ、自由にしてください。アーメン」


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この祈りを放送した方のコメントを続きに書きます。
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愛されている光子

愛されている光子 3.輪廻(Reincarnation)

光子の子供時代には、死に関わる出来事が尽きることなくある。光子自身の出生時の死への誘いから始まり、父方、母方のお祖母さんの死、大きくなったら結婚したいと思った大好きだった叔父さんの戦死、親しくしていたお友だちのお兄さんの突然の死、クラスメートの死、これらの中でも弟の死にまつわる話はいつも光子の心を占めている。

光子の弟、章則が亡くなったのはあと2ヶ月で5歳になろうとしていたときだった。当時、光子のお父さんの小さな町工場は、パートナーと女子事務員の悪事のため破産宣告をして間もなくだった。お父さんはそのショックから立ち上がれなかったが、家族を養う責任を果たすため、馴れないことをいろいろやっていた。お母さんもそのお父さんを助けて、昔、身につけた美容の技術を生かしたり、人のものを縫ったりしていた。そんな状況のなか、親戚の者たちは光子の高校進学を反対したのだが、お父さんが『光子は昼の高校に行かせる』と言って、光子を北高校に通わせてくれた。

当時の山形の交通機関はバスか自転車が主だった。勿論、光子の家では、お父さんの仕事関係もあり、自転車を使ってどこへでも行っていた。光子のお母さんは自転車に乗れなかったのでお父さん、お母さんの仕事関係の全てのお使いは、光子が学校から帰った夕方の三、四時間で片付けていた。弟の章則は、その光子の自転車に乗るのが大好きだった。光子は弟を乗せて、当時の山形の街の中、北山形駅付近から遠くは南山形駅辺りまで自転車でお使いをしていた。一番遠くまで行ったのは東村山の常明寺へ五、六度、それからその近くの山の麓から登って、滝の平までも何回か行った。

その日も光子は章則を連れて南山形駅の近くにあったお父さんの仕事先まで、お使いに行くことになった。章則におやつのストロベリーとクッキーなどを持たせて出かけた。
章則は光子の自転車に乗ると喜び、楽んで、ぐずったことなどなかった。その日はいつもと違い何が気にくわないのかぐずぐずと文句を言っているうちに、光子がかけたブレーキに指を挟んでしまい、痛い、痛いと泣き喚き始めた。光子はイライラして自転車を止め、章則をつかんで揺すったり、叩いたり、自転車から降ろして『ここにおいて行くよ。』などと行って脅したりした。章則は泣き止んだが、いつものおとなしい良い子の章則ではないので光子はイライラしながら、やっと家に帰った。ほかのところへ行くお使いがなった光子は、縫い物をしているお母さんの側に行って、
「今日は章則、とってもぐずったのよ。」と言いつけた。指を挟んで血を出したことは言わなかった。お母さんは、
「章則、ここにおいで。熱でもあるのかな。」と言って章則を抱きしめて首の後ろに手をやり、額と額をくっつけたりして看ていたが、
「熱はなさそうだね。」と考えていた。
光子は、『母親とはこういうことなのだなあ。子供たちがくずったら、まず病気ではないかと心を配る。』それはとても素晴らしい発見だった。
「章則、どうしたの。寝んねしなさいね。お母さんの側で。」と言って座布団を並べてやっていた。章則はおとなしくお母さんの側で横になった。

忙しく縫い物をしているお母さんを助けようと、光子は夕食の支度を始めた。その日は珍しくお父さんも早く帰り皆一緒に夕食をし、賑やかに一日の出来事を話し合ったりした。
妹と一緒に夕食の後片付けをした光子は、妹、弟の宿題を見てやりながら自分の宿題も始めた。お父さんは今朝早く出かけたため読めなかった新聞を読み始めた。お母さんは裁縫の続き、その横で章則はまた横になっていた。お父さんの新聞をめくる音ががさがさするだけで静かな春の夜が更けていった。
と突然、お母さんが、
「あなた、章則が...。」と言って、章則を抱こうとした。お父さんはそれを見て、
「どうした。抱いてはいけない。静かにして...。」
光子は吃驚してお母さんのところに行った。
「おまえ、医者の電話番号はどこだ。」
「そのカレンダーの横に。」
お父さんは直ぐにお医者さんに電話を始めた。
「もし、もし、山司ですが、往診お願いしたいのです。」
「---。」
「でも、子供は意識を無くしているようなのですが...。」
「---。」
「そうですか。じゃ、そちらに電話してみます。ありがとうございます。」
お父さんが電話を切るのを待ち切れなさそうに、
「あなた、どうしたの。」
「うん。来れないって...。」と言いながら貰った電話番号に電話をし始めた。
「もしもし、花本先生ですか。山司と申しますが、中井先生に紹介していただき電話しているのです。往診をお願いしたいのですが...。」
「---。」
「えっ、来て頂けないのですか。でも子供は...。」
「---。」
「そうですか。連れて行けば看ていただけるのですね。」
「---。」
「ありがとうございます。直ぐに行きますから、宜しくお願いします。」
電話が切れるか切れないうちに、お母さんは、
「あなた、今、あなたが言ったじゃありませんか。動かしてはいけないって。」
「でも、お医者さんも熱を出していて動けないような状態なんだそうだよ。」
「近所のかかりつけの中井先生は、何と言っているの。」
「老年で夜は外に出かけられないし、もう床に入ったので往診は無理と言ったよ。」
「そんなことない。この間、隣のお祖母さんが夜中に息が苦しくなって呼んだときは、来てくれたって言ってた。うちはお金が払えないとでも思っているのでしょう。」 
「そんなこと言っている間に章則はどんどん悪くなる。一刻も早く看てもらわなければ。少し遠いけれども、連れてくれば看てくれると言っているのだから、あっちのお医者さんに連れて行こう。」
「でも...。」とお母さんは心配そうに章則を見て決めかねていた。でもお父さんに再度促されて章則を抱きかかえて家を出て行った。お父さんは、
「光子、あとを頼むよ。」と言ってお母さんのあとを追った。

それから何時間経ったのか、お父さんとお母さんは章則を抱きかかえて帰って来たが、何も言わなかった。光子も何も言えず、ただお父さんとお母さんと章則を見ていた。お母さんは無造作に章則を座布団に寝かせ、じっと見ていた。お父さんもその側に座りぼんやりとしていた。何分経ったのか、お父さんが光子たちを呼び、『章則は亡くなったのだよ。』とひとこと言っただけだった。お母さんは、章則をお医者さんから連れて帰って来て、そのあと何も話をしなかった。

次の朝、当時、舟形に住んでいた斉藤の伯母さんが駆けつけて来てくれて、テキパキとお葬儀の容易をしてくれた。お母さんは伯母さんにはあれこれと話をしては泣いていた。伯母さんはそんなお母さんの話に相槌を打っていたが、あるときお母さんに一言、
「あんた、そんな風に言っては山司さんが悪いようじゃないか。お金があるなしではなく、世の中にはいろいろな人がいて、お医者さんの中にもこちらの必要を知って、犠牲を払ってでもやってくれる人もいるし、そうじゃない人もいることに心を向けなくちゃ。それにこんな家に生まれてではなく、このような苦しい世の中に生まれてというべきだよ。」とお母さんを諌めていた。光子は斉藤の伯母さんの言うことを聞きながら、斉藤の伯母さんは偉い人だと思った。勿論子供を亡くし気が転倒していると言っても、伯母さんが言うように言って良いことと悪いことはわきまえるべきだということ、また人が亡くなったときそれを誰かの所為にしたりすることを、してはいけないのだと光子は感心して聞いていた。

でもその伯母さんが、章則の死体を火葬場に置いて来たとき、お母さんに「嘘」を言ったのを聞いて驚いた。次の日が「友引」とかで、その日のうちに死体を家から出したほうがよいということになって、お葬式も家族だけで早々に終わり、夕方お棺を火葬場に持って行った。火葬することのできない時間になっていたので火葬場の仏間にお棺を置いて来た。仏間といってもセメントの壁で何もない、冷たい、寒い部屋だった。仏さんが一体立っていたが、光子はこんなところに章則を一人置いておくことはできないのではないかと思った。でも伯母さんは家に帰ると、お母さんに、
「仏間があってね、そこで仏様の手に守られて、章則は安らかだよ。」と言った。光子は吃驚して伯母さんの顔を見てしまった。でもお母さんはそれを聞いて『仏様に守られいるんだね。』と何回も念を押しては、心を休めようとしていた。
次の日、お骨になった章則を光子はお父さんと一緒に自転車で取りに行った。お父さんが、
「光子、章則はきっと喜んでいるよ。光子の自転車に乗せてもらって。」と言った。光子は、章則が亡くなる日に自転車に乗った道をもう一度、お骨になった章則を乗せて走りながら、章則に『ごめんね。ごめんね。』と言った。

「お母さん、今日は洗濯をしましょうね。」と光子は五月の良いお天気のある朝、洗濯の用意を始めた。お母さんは章則のお葬式のあと、気が狂ってしまったのかと思われるような異様な行動をするようになった。食べるものもあまり食べず、お父さんは心配して光子に、お母さんの好きそうなものを作って食べさせてくれと言った。光子は一生懸命考えて作ったが、お母さんはおみ漬けとご飯だけは食べたが、あとは殆ど食べなかった。そしてあちこちと歩き回っては、五歳くらいの男の子を見ると、その子のあとをついて歩いたりした。そんな子が家に入ってしまうと、その家の前に座って何時間でもその子が出てくるのを待っていた。夕食の時間になっても帰って来ないお母さんを探しに行くと、近所の家の入口の前に座っていて、『章則がこの家に入ってしまって出てこないんだよ。』と言っては悲しそうな顔をした。近所の人たちから何とかして欲しいと言われ、お父さんも困ってしまった。お父さんは仕事を休むわけにはいかず、前にもまして働かなければならない状況になっていたのでお父さんは光子に、しばらくお母さんと一緒にいて欲しいと言った。親戚の人たちの反対を押し切ってまで昼の高校に通わせると言ったお父さんが頼むのを聞いて、光子は喜んでお母さんと一緒に過ごすことにした。

「お母さん、今日は天気が良いし、洗濯しましょう。お母さんは盥のそこに座ってね。私はこちら側。」
「章則は何処にしようね。」
光子は何と言えばよいのか分からないまま、
「お母さん、これはお母さんのものだから、これから洗ってね」と言って洗濯をし始めた。お母さんも何か言いながら洗濯をし始めてくれた。お母さんには何を言っても章則のことになるので光子は何も話をしたくなかった。煩く飛び回る五月の蝿を石鹸の泡のついた手が追いながら洗濯をしていた。そんな光子を見ながら何も言わずお母さんも洗濯をしていた。『お母さんは蝿が煩くないのかしら』などと思いながら光子も洗濯し続けたが、とうとう我慢できず、両手で勢いよく『パチン』と蝿を撃った。
「やあ、気持ち悪い。ハエを捕まえちゃった」と光子はその手を洗濯ものの中に入れようとしたが、止めて側の水道へ行って手を洗った。お母さんはその間、光子の名を呼んで、何か言っていたが、光子には聞こえなかったので盥の側に来てからお母さんに、
「お母さん、今、何を言ったの。」きっと章則のことかなと身構えながら聞いた。
「おまえ、おまえは章則を殺したね」とお母さんは言った。
光子は目の前が真っ暗になったかと思えるほど吃驚した。
「えっ、お母さん、今、何と言ったの。」
「おまえは章則を殺したんだよ。」
光子は聞き間違えじゃなかったことで更にショックだった。『やはりお母さんは、きっとお父さんも、光子が章則に何か悪い食べ物を与えたからだと思っているのだ。』と考えると涙がどっと流れ出た。光子の心にも、『章則の死には光子のあの日の行動が関わっているのではないか』といつも考え、あの日のことでは心がいつも痛んでいた。章則の死の原因は余りはっきりせず、お医者さんは解剖すれば分かると言ってくれたが、そんなことまでして原因を追求する気にもなれず、お医者さんが死因として書いてくれた、『食中毒』ということで家族のみんなは承知していた。でもそうなるとその日多くの時間を章則と一緒に過ごした光子には辛いことだった。『何の食べ物が悪かったのだろうか』と考えざるを得なかった。それでお母さんに『章則を殺した』などと言われると何を言っていいのか分からず、涙が出てくるのに任せてお母さんを見ていた。でも何かを言わなければ、『ゴメンナサイと謝るべきなのだろうか。それでは私が章則を殺したことになってしまう。そんなこと恐ろしくて絶対にできない。それじゃどうするばいいのか。』と考えているうちに何分経っただろうか、光子の口から、
「お母さん、」との呼びかけの言葉が出たが、あとはどんな言葉が続くのか光子にも分からなかった。でも、次に出た言葉で光子の心は少なからず安らいだ。
「どうして光子が章則を殺したって言うの。」光子は恐ろしくて身が切り刻まれるような一瞬だった。お母さんは、
「だって、光子、おまえは今、蝿を殺しただろう。あの蝿は章則だったのだよ。」
「?!」
「章則がきっと蝿になって帰って来て、『いつも自転車に乗せてくれて、ありがとう。』って言って、あんたのところに帰って来たんだよ。」
前にもまして光子は驚きと恐れに包まれた。『お母さんは本当に頭が狂ってしまったのだろうか。何を言いたいのだろうか。』と考えていた。
「おまえ、死んだ人を仏さまはこの世に送り返してくれる話をしたことがあるだろう。人はこの世で悪いことをすると蛆虫に生まれ変わらされ、人間になれるようにいろいろな動物に生まれ変わるって話。」
『そういえばお母さんは、私たちが何か悪いことをすると『蛆虫』に生まれ変わるよと言っていたなあ。』と思い出し、お母さんは輪廻のことを話をしてるのだと分かった。
「お母さん、光子はね、章則が蝿になってこの世に帰ってくるなって考えられない。でも、もし章則が蝿になって帰ってきたら、また叩いて殺しちゃうよ。」
「今度はきっとイヌかウマだよ。」
「いや、いや。章則がそんな、どんな動物に生まれ変わろうと、そんなのはいや。」光子が余りにも大きな声で怒鳴るように言ったのでお母さんは吃驚して光子を見ていた。光子は自分が死んだら『蝿や、イヌ、ネコ、ウマになって生まれ変わってくるなって考えられないし、考えたくない』と思った。それで、
「お母さん、光子はね、輪廻なんて信じないよ。」と言った。お母さんも光子が言いたいことが分かったのか、
「そうだね。章則がどんな動物にしろ、動物に生まれ変わるなって考えたくないね。」と言って光子に同意してくれた。

そんなことのあったあと二、三日して、舟形の斉藤の伯母さんがまた来てくれて、お母さんといろいろ話をしてくれた。伯母さんも子供を一人汽車の事故で亡くしているだけに、お母さんは伯母さんの話には耳を傾け聞いていた。そして最後には章則のお墓にお参りに行くことを承知した。今までは章則のお墓の話をすると、お母さんは何も言わないで何処かに行ってしまっていた。でもその日は素直に伯母さんとお墓参りに行った。光子は伯母さんとお母さんがお墓参りに行っている間、おみ漬けは勿論、いろいろな漬物を揃え、それにお蕎麦を用意してお昼にした。

光子はその後二十年くらい経ったとき、「イエス様が神であることに固執せず、人となってこの世に来てくださった。」というIncarnation(肉体を持つ者となる-輪廻とは違う)を信じた。そしてその神の愛と恵みによって自由にされ、救いを体験し、キリスト者となった。

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続きに光子のお母さんが食べた漬物のレシピを書くので読んでください。コメントもお願いね。

この話は読んでくださった人もたくさんいるのだが、いまだ読んでない人もいるので載せさせてもらった。

シカゴあれこれ

雌鶏と天国

シカゴも春らしくなり、死んだようだった木々に緑の芽が吹き出してきました。水仙、木蓮、連翹が満開になっているのに、チューリップの花が見えずどうしたことかと思っていたら、やっと咲きはじめたチューリップを見つけました。

春らしくなると、隣の人が子供のようだと言って飼っている雌鶏も、家の中でじっとしていられないのでしょう。ベースメントから出してもらって日なたぼっこしています。
Hen 1
四羽、草の中に埋もれているので、この写真では何がいるのかよく分からないですね。優雅に歩いている雌鳥をみてください。優雅でもないですね。一生懸命に餌あさってる写真ですね。
Hen 3 Hen 2
シカゴ市の法令では、雄鶏を飼ってはいけないのですが、雌鶏はいいのだそうです。雄鶏は時をつくり、近隣の静寂を破るからだそうです。

この鶏の卵は小粒ですが、二、三回いただき賞味しました。とても美味しかったです。娘はこの生きた鶏を見てしまったため、その卵は勿論、フライ・チキンの骨付きドラム・ステッキなども食べられなくなりました。

生き物を飼っている人たちは、それらが死んだらどうなるかと考えることがあるでしょう。“Heaven”と題するRandy Alcorn著のパンフレットのような小さな本の中で、著者は、「新しく作られる天地には動物もいるだろうか」との項目を設け、検討している。創造主なる神が現今の天地を創造されたとき、動物をも造り、見て「よし」と言われた(創世記1章25節)とある。神がこのようによしとされた動物を新しい天地にも造らないわけがない。また現今の世にいる(いた)動物たちもきっと復活させてくださるに違いないと、Alcorn氏は言っている。

他の人たちは、「神が人を造られたとき、神は命の息を鼻に吹き入れた(創世記2章7節)。その神の息が霊(魂)となった。しかし神は動物を造られたとき神の息(霊)を吹き込まなかったのだから、死んだら塵に返るだけである」と反論している。しかしこの人たちも新しい天地に動物がいないことはないと言っている。

どちらを取るかは個人個人で違うでしょうが、新しい天地に行かれる日が楽しみです。どんな動物がいるのでしょうか。天国には。隣の人の鶏もいるでしょうか。

娘が骨付きのチキンが食べられなくなったので、アーミッシュのお店で食べた健康フライチキンも、この頃は骨をとって作ってます。続きに健康フライ・チキンともう一つのレシピを書きましたから見てください。コメントもお願いしますね。

生活

チョコレート

けい子のお母さん、沖縄さんが、最近沖縄に旅行して帰ってきました。沖縄から近い国、台湾へ観光に行ったそうです。二、三度目の台湾旅行だったけど、食事も、山々の景色も楽しめたそうで、良かったですね。シカゴに長く住んでいると山が見えると、どんな山でも「ああ、いいなあ!山のある景色は」って思えます。

台湾で珍しいチョコレートを見つけたのでお土産に買ったそうです。
10 04-15 chocolate
はい、これがその珍しいチョコレートです。
何がそんなに違うのでしょうか。チョコレートの中にゴマが入っているんです。
チョコレートとごま
どう思いますか。合うでしょうか。
とても美味しかったです。よーーーく合ってました。チョコレートとゴマ。娘は、チョコレートにゴマなんてと思って見ていたんですが、チョコレートが食べたくなって一つ口に入れたら、その美味しいこと、止められないよ、太っちゃうよと言って嘆いてます。でも台湾製だから簡単に手に入らないからいいねと言っては食べてます。そろそろなくなる頃です。

沖縄さん、ご馳走様でした。

続きにはクッキーのレシピを載せました。見てください。コメントもお願いします。

クリスチャンの生活

社会福祉活動

イースターの日曜日に、デボン教会では多くの新しい人たちを迎えることができ、素晴らしいお祝いをしました。イースターはキリスト者にとって最も大切な日、イエスのよみがえりなくしてキリスト教はないのですから。土曜日には「イースターの楽しみ」を子供も大人も大勢集まって、大いなるお祝いをしました。
楽しみだけでなく、イースターを目標に、デボン教会では社会福祉活動の一環として、時期にあった衣類、そして食料品を集め、North Park Friendship Center(NPFC)に持って行きます。イースターの前3月24日に集まったものをいろいろ整理し、Centerに持って行きました。
10 04-04 Easter SS-1
Dr. W.と旦さんが頑張って整理したり、車に運んだりしました。
10 04-04 Easter SS-3 10 04-04 Easter SS-2
シカゴにある大きな食料品パントリー(Chicago Great Food Pantry)を中心に、各地区の困っている人たちを助ける目的で、NPFCのような小さなFood Centerがあります。今は経済不況のため多くの人たちがこのようなCenterを利用しています。
10 04-04 Easter SS-4
まず正面のドアーを入るとコンピューターなどがある机があって、そこでいろいろな手続きをします。
10 04-04 Easter SS-9
一番奥には衣料品を保管する場所があり、ボランティアが常に働いています。
10 04-04 Easter SS-5
食料品を保管する場所にも多くの人たちがボランティアで働いています。カラだった棚が少しづつ一杯になっていきます。
10 04-04 Easter SS-6 10 04-04 Easter SS-10
冷蔵庫もあります。教会で集めるものは缶詰、米などです。
10 04-04 Easter SS-8
困っている人たちを助けるのはキリスト者が神から頂いた大切な勤めの一つです。
次の聖書のみ言葉を読んでください。
「各自は惜しむ心からではなく、また、しいられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施すひとを愛して下さるのである」2コリント9:7
キリスト者の神(エル・シャダイ)は、人々の必要を満たしてくださるのだから。
この他、デボン教会ではナーシング・ホームにいる教会に出席できない人たちを訪問しています。その写真を次の機会に載せます。

続きも読んでください。コメントもお願いします。
プロフィール

Tsukasa Hiroko

Author:Tsukasa Hiroko
初めの家は塵でできており、砂の上に建っていました。
四十年前にシカゴで木の家を岩の上に建てさせていただきました。
今はレンガの家が岩の上に建つようにしていただいたようです。
金の家になれる日を望んでいます。

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