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雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ち付けても、倒れることはない。岩を土台としているからである。

愛されている光子

愛されている光子 5. やっと!

光子は東京で生まれた。第二次大戦のため、小学校二年生以上は東京にいられなくなり、学童疎開といって、学校ごとに田舎のお寺や村民館などへ移された。光子の北海道のお祖母さんが、そんなところに孫を行かせられないと、光子を連れて来た。それで光子は五年生と六年生を北海道で過ごした。
終戦後、東京で爆撃にあい山形に来ていた家族と一緒になるために、光子は北海道をあとにした。そして山形で高校を卒業し、東京に出たくて、お父さん、お母さんが出した条件、洋裁、和裁、そしてお料理を学ぶことに二年間費やした。その間にタイプも学び東京へ出ることになった。東京に行くようになったときお母さんはもう一つ条件を持ち出した。それは舟形にいた伯父さん、伯母さんが東京に引っ越していたのでそこに住ませた貰うということだった。光子はあの伯母さんは好きだったし、伯父さんも伯母さんに勝ってよい人だった。こんな苦労の末、光子はやっと東京に出られた。東京に行った光子を斉藤家は快く受け入れてくれた。斉藤家の娘の一人が汽車に跳ねられ身体障碍児だった。その子を庇い、その子を思う心が斉藤家の子供たちを心の優しい子供たちにしたのだろう。特に斉藤家の一番上の娘テル子は、光子と年齢があまり違わず、光子を庇っていろいろ教えてくれた。山形弁を笑いながら直してくれたり、あちこちとショッピングに連れて行ってくれたりした。光子は外資系の会社に勤められるようになり、大望の大学受験の準備に励んだ。斉藤家の暖かい思いやりの中で受験も無事終わり、テル子と一緒に合格発表を見に行った。
その大学のオリエンテーションで、ここはキリスト教系大学であるから必修である道徳教育としてキリスト教を学んでもらうと言われた。そのキリスト教概論が今日の第一時限だった。いったいキリスト教とは何だろう。光子がキリスト教で知っていることといったら、「アーメン、ソーメン、どっちがうまい!」などというはやし言葉ぐらいなのである。必修の道徳教育の一環として話されるキリスト教の話には少し興味があったが、光子は考えた。自分の家の宗教は禅宗なのにあまりよく知らないのに、他の宗教を学ぶということはどういうものだろう。禅宗についても何かしなければならないと思った。
教授が入って来た。随分いかめしい顔をしており、目をギョロリと光らせ人を見据えるようにした。でもその目の奥に光子は何か暖かいものを見たのをどうしてだろうと思った。ある人たちは教授のことを「雅歌」教授と呼んでいた。その名前の由来をあとになって聞いた。当時のキリスト教界では「雅歌」の教授として有名だったようだ。「旧約聖書略解」という本の中にも、教授の名が「雅歌」と「伝道の書」の解釈者として載っている。それで雅歌教授となったのだそうだ。その雅歌だが、聖書の中の恋愛物語で、十台の子供たちが面白くない説教を聞く代わりに「雅歌」を読んで楽しむという話もある。本当に「雅歌」を読むとどうしてこんな恋愛物語が聖書の中にあるのかと不思議になる。光子が雅歌教授の中に何か暖かいものを感じたのは当たり前なのかもしれなかった。あの鋭い光る目の中に、何か本当のものがあるのかもしれないなどとも考えていた。
気がつくと雅歌教授は黒板に数冊の本の名を書き終わっていた。はじめの三冊の中から一冊、四番目の本はマンダトリーで必ずレポートを書かなければならい本の名だった。四番目の本の名は「四福音書」で、題は「わが見たるイエス」、でもこの本には著者名がなかった。光子は、「著者名なしの本を買うのは大変だな。きっと学校の購買店で買えば、キリスト教に関係のある本らしいから分かるのだろう」などと思っていると、光子の近くにいた男子学生が、光子の聞きたいことを勇敢にも聞いてくれた。
「先生、その本「四福音書」には著者名がありませんが。」
教授は目をギョロリと輝かせて質問をした人を見た。次の瞬間、何ごともなかったように、
「そうですね。著者名がないですね」と同意され、その本の著者は神であり、この本は聖書という本の中の一部分であることなどを説明された。そして聖書について知らない人はどのくらいいますかと質問したあと、聖書について解説された。聖書を知らない人が多くいて教授もびっくりされたようだった。光子もその中の一人であった。そして最後に、教授は、授業への出席は重視しないから出欠席はとらない。しかし授業を受ければレポートを書く助けになること、このニつのレポートと試験が最終的な採点の基となることを説明したあと、授業が終わった。
アドバイザー・グループのほかに課外活動のクラブを選ぶことが義務付けられていた。光子はどうもあの雅歌教授が気にかかったので教授の関わっている宗教部とかへ行ってみようかなどと考えた。
緑が木々を彩る五月の夕暮れ、緩やかな坂道を上がり大学へと急いでいた。光子は、今日こそ、雅歌教授の関わっている宗教部へ行ってみることにしていた。今日は何か特別の集会とかで一人でも多く集まるようにと、ニ、三日前にアナウンスがあって、授業前の三十分の集会だった。一年先輩のメンバーの一人が、九州にある牧師を養成する聖書学校に行くので、その人のためのフェアウェル祈祷会だった。その人は母一人、息子一人という仏教徒の家庭で育ったのだが、クリスチャンになり牧師になると言ったことで、母親は息子を勘当したそうだ。そんなことがあっても、その人は聖書学校に合格したので牧師になるための勉強に、九州に行くとのことだった。それで出席した一人一人が祈ることになった。光子は吃驚してしまった。今までキリスト教の祈りなどしたことがないし、信者でもないのだからと断った。でもこの集会に来てくれたのは、神の導きがあってのことだから、神はあなたの祈りも聞いてくださるとのことで祈らされた。光子は何を祈ったのか覚えていない。只、祈り終わったあと時間があったので紹介され、話し合いが続いた中で、全ての人は「罪人」であると言われ、光子はまた吃驚した。罪人と呼ばれたけど、殺人も、盗みも、いわゆる法の下では何も悪いことをしていないし、人に迷惑をかけるようなこともしていないのに、何故罪人と呼ばれるのだろうか。キリスト教でいう罪は何か特別なのだろうか。やはりはじめに禅宗を勉強してみなければとまた思った。
罪人と呼ばれて吃驚したこととは別で、雅歌教授のやっている読書会にも入れてもらった。また教授がやっているというだけでお茶も習いはじめた。お茶のお稽古は光子の肌に合ったらしく何の苦にもならず一週間に一度のお稽古が待ち遠しいほどであった。またそのお茶の先生が雅歌教授と同じように、目をギョロリとさせるところまで似ており、光子にとってもう一人興味のある人に会えたのであった。先生は偏屈庵と名づけた自分のお茶室を持っておられた。それで偏屈先生と呼ぶことにした。
仕事、学校、お茶のお稽古と忙しい中にも充実した生活をしているように感じていたが、心の中には死に対する質問がいつも巣くっていた。試験の勉強、宿題、それにレポートを書かなければならなかった。「四福音書」のほかの本は直ぐにかけた。あの著者名のない聖書は大学の購買店で簡単に手に入れることができたが、四福音書と呼ばれる章はなかった。三六アドバイザー・グループで一緒になり、宗教部にもいた園子さんに聞いてみることにした。園子さんは教会のコワイヤーでソプラノを歌う、目が大きく、おしとやで日本的な綺麗な人で、とてもやさしい声で話してくれて、直ぐに友だちになれた。キリスト教のことを何も知らない光子に親切にいろいろと教えてくれ、四福音書も新約聖書のはじめの四つの本だと言った。
一番はじめにあるマタイの福音書を開けて、光子は吃驚してしまった。小さい字で一ページ一杯になんとも変な名前がたくさん列記してあるのだ。光子は外国の長編小説を読むときは、名前が難しいので登場人物の名前とその人たちの関係を系図のように記してから読みはじめるのを常としていた。その表をまず作ろうとしたのだが名前、名前で系図などの作りようもなかった。それで一人でも多く名前を覚えようとしたが、変な名前ばかりで覚えられなかった。どうしたらよいのか。少しも前に進めず時間だけがどんどん過ぎっていった。とうとう雅歌教授に授業のあと四福音書のあの名前でひっかかってしまって読めないのだが、どうしたらよいかと質問した。雅歌教授は、いつものギョロリの目ではあったが、何か悪戯をみつけて喜んでいるように口元に笑みを浮かべながら、そうですか、読めませんかと言った。光子はちょっと感にさわった。なんだかバカにされているようだった。雅歌教授は光子のそんな思いを見抜いたのか、一章にあるあの名前は、はじめて聖書を手にした人には大変ですねと仰った。はじめての人はみんなそうだから落胆しないで五章から読みなさいとサジェスチョンしてくれた。
光子は勇んで五章から読みはじめた。一章を読んだときと同じくらい頭がこんがらがってしまった。イエスという人は何なのだろうか。人々はイエスについて行くし、イエスがらい病人にさわると癒されたとまずあった。病人の癒し、悪霊の追い出し、嵐を静め、五切れのパンと二つの魚で五千人以上に食べさせたり、その他多くの不思議を行い、頭がこんがらがる教えと続いていった。その教えの中に罪に関するものがあった。人をバカと呼んだり、噂話をしたりすることはその人を殺していると同じで殺人罪、また女をみだらな思いで見たりするのも罪を犯していると書かれている。何を読んでいるのか理解できないままとうとう終わりのほうになってしまった。と突然、読んでいる光子の目を疑わせるようなできことが記されている。イエスが十字架につけられて死んでしまった。そのあともっと驚くことが起こっている。死んだイエスが蘇ったと書いてある。そんなこと、とっても信じられることではない。死んだ人が蘇るなんて!
この人は、魔法使いか、究極的宗教家か、それともクリスチャンが言っている神なのだろうか。他の福音書を読んでも同じことで、光子にはレポートを書くのが難しく、期日に間に合いそうもなかった。でも何とか書き、期日の夕方に投函したので、レポートは一日遅れで雅歌教授の手に届いた筈だった。そんなことではじめに雅歌教授が言ったように、一日であれ遅れたのだから仕方のないことであろう。必須であるキリスト教概論を落第してしまった。後日、雅歌教授は調べてくれると言ったが、お粗末な内容をもう一度見ることなどとても恥ずかしい上、雅歌教授が落第にしたのは内容ではなく、期日を守れなかったことが原因なのは分かっているのだから見てもらうことは断った。
大学の成績は、まず必修を落としたのは痛手であるがどうしようもなかった。一般教養の理数科系はまあまあだったが、肝心の英文学のほうは、英語を学ぶ英語教室ではなく英文学を学ぶための大学なのだから英語で文学を読めなければならないのに、知っている単語の絶対数が少ない上、文法の知識も悪いことを身に沁みて知らされた。アドバイザーである英語の先生は、それを思い知っただけでもよかったと思って、これから頑張りなさいなどと、ほかに言いようがなかったのだろう、変な励ましたかたをされた。

ニ年目の秋、宗教部主催で行われた修養会に出席した。園子さんが、
「あそこの食事はとても美味しいですよ。ビタミンI(愛)がたくさん入っているから。心を込めてお食事を作るのでしょうね。とっても味がいいんですよ」と言うのに誘われ、ビタミンIのたくさん入っているお食事が食べたくて出席した。天城山荘で行われた修養会に行く日が来た。園子さんと新宿駅で待ち合わせて出かけた。電車の中で、園子さんは修養会では、何が書いてあるか分からず光子を惑わした聖書の学び、祈祷会もあるとのことで、何だか気が重くなった。園子さんが、聞いていればいいですよと言ってくれたのでいくらか安心した。修養会での食事は本当に美味しかった。お金を余りかけられないので簡単なものなのに、やはりビタミンIが一杯入っているのでしょう、とっても美味しかった。また修養会では、皆が泣いて祈ったり、喜んだりするのを見るのも不思議だった。光子には、この修養会で思い出す心の痛くなる出来事が一つある。夜の聖書研究のときのことだった。宗教部の一人の男子学生が、
「神は愛、主なるイエスの恵みによってのみ僕たち人間は救われ、天国行かれる。いや、今この世の生活でも天国にいるようになる」などと言った。それを聞いて光子は、
「でもイエスはマリヤという人間の女から生まれた人間であり、最後は十字架の上で惨めな姿で死んでいった。聖書にはそのイエスが蘇ったと書いてあるが、そんなことは信じられない」と言った。でも何か言ってはいけないことを言ってしまったように感じられた。それからの聖書研究で、光子は何も言わないようにして、じっと座っていた。しかしこれだけでは終わらなかった。次の朝、園子さんが来て、優しく、でも凛として、
「あのね、光子さん。昨夜、西条さんは床に入らず、聖書研究をした場所で、あのままずっと一夜を過ごし、自分がいたらなかったと祈っていたということです」と伝えてくれた。光子は、何でそんなことをするのか、迷惑なと言いたかったが黙っていた。光子の救霊のために雅歌教授はじめ宗教部の人たちがみんな祈っていてくれていたことをあとで知った。

穏やかな坂道の上の大学ではいろいろなことがあったが、イエスに会うだけは会えたのだ。やっと!
イエスが、光子の小さいときからの質問に答えてくれるのだろうか。おばあさんは何処へ行ったの、光子も死んだあと何処へ行くの、死を思うのは何故、死が光子のまわりにあるのはどうして、何のために生きているの。心のどこかにあるこれらの質問に答えてくれるのだろうか。
偏屈先生にお茶を理解するために座禅をすることを勧められた。お茶会をする関係で北鎌倉の円覚寺へよく行きますが、あそこの座禅堂はいいですよと仰った。光子は、是非、その座禅堂に行かなければと考えていた。でもやっと会ってもらったイエスを置いて、禅寺に行ったことが、これからの光子の人生に問題になることも知らずに!
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おからパティーのレシピはもうすでにブログに書いたと思ったが、そうじゃないらしい。それで続きに書くので読んでください。もしもうすでに書いてあったらごめんなさい!
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あいさつ

日本の味、ありがとう

ミックさん、ご馳走様でした。皆さん、日本の味はいいねって、喜んで食べてました。そしてあなたが大阪で毎週教会に行っていることを話すと、みんな喜んでくれます。

土曜日の教会お掃除のグループの人たちから、ご馳走様、よろしくって。
10 06-11 Mic 1
日本のものは何でも美味しいね!と言ったKitに、残ったものあげたら大喜び!
10 06-11 Mic 2 10 06-11 Mic 3
日本人の顔してるのに、この男性軍、日本の甘いものは美味しいねって喜んでくれないから、いつもは勿体ないからあげないの。でもミックからのはピーナッツがついていたせいか、カリカリ食べてたね。
10 06-11 Mic 6 10 06-11 Mic 4
あなたからの手紙を一生懸命読んでいるひと。
10 06-11 Mic 5
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レジャー・グループの人たちから、ご馳走様!よろしくとのこと。
聖書の勉強"Pre-Wrath Rapture of the Church"の前に、コーヒー、お茶などと一緒に、朝ご飯の代わりにいただいた。
白いペーパー・プレートの上なので載せたチョコと塩見のおせんべい見えないね。残ったチョコレートは、チョコきちがいの人が全部持って行っちゃった。
10 06-11 Mic 2-2
ミックからのスナックを食べ、コーヒー、お茶などを飲んで目を覚まし、一生懸命先生の話を理解しようとしているシニアの人たち。
10 06-11 Mic 2-3 10 06-11 Mic 2-4
勉強のあとは、チキン・サラダのサンドイッチとスープ。あの日は寒くて暖かいスープが美味しかった。
10 06-11 Mic 2-5

レジャー・グループのシニアが毎月勉強している"Pre-Wrath Rapture of the Church"について、続きに簡単に書くから読んでね。そしてコメントもお願いね。

クリスチャンの生活

初穂会

六月九日、待っていた初穂会仲間の昼食会

初穂会の前身は「若き婦人の会」。それは若き婦人たちが、一ヶ月に一度各家に集まって、一生懸命に聖書を勉強した会の名。今日はその会で聖書を教えてくださった牧師先生が80歳になられた。先生に感謝をこめて、初穂会の発足の思い出話、先生はじめ初穂会の人たちへの感謝、そして今現在各人が如何に真剣に主イエスにあって生活しているかなどの証があった。そのことは「初穂会2」としてで近日中に書かせていただく。

今日は撮った写真を載せる。三枚ほどぶれてしまった写真があり、残念。残りもあまりよくないし、色が綺麗にでなかった。写真の腕を上げるにはどうしたらいいのか教えて。

みなが食べないうちにパチパチ。三枚撮ったのに二枚ぶれてしまって、これ一枚だけ。カリフォルニアからのお蕎麦サラダ、ハム、きゃら蕗、海鮮サラダ、おからパティー、スプリングロール、海苔巻き。全部美味しかった。それに健康食。
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お食事前のひと時、遅くなった方々を待っている間、各人の生活の情報の交換。時間がいっぺんに逆戻りして、あの若き婦人の会の雰囲気になるひと時。
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美味しいご馳走を賞味しているうちに写真を撮るのを忘れちゃった。おしゃべりと口パクパクはいい写真の対象になったのに。残念。
食事のあとの証と話し合いのひと時。先生の写真は逆光になってしまった。人物って撮るのむずかしいなあ。
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このあと先生からの奨励があり、良い話をしていただいた。その奨励の要約を書かせていただくので、続きも読んでね。
コメントをしてね。

シカゴあれこれ

日本全国の美味しいものイベント

シカゴの郊外にある日本食マーケット「ミツワ」で、美味しいもの実演、販売のイベントがあったので行って来た。

入り口を入ったら、まずそこに「たこたっぷり・たこ焼き」をねじり鉢巻をしたお兄さんが勢いよくつくっていた。
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周りにいた女の子たちは、誰かがこのたこ焼きとこのアップル・パイのようなものを買うと、ドラムを叩いて、「ありがとうございました」と、これも勢いよく感謝していた。Hirokoはたこ焼き買わなかった。旦さんが、あれにはスクイッドが入ってるねっていうから。スクイッドとオクトパスは駄目。
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反対側には、山形の名産、丸い「玉コンニャク」を煮ていた。
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その横には串に刺してないお団子があった。「新きねや」というお店が出していた。山形のどこにあるんだろう。このお店。聞いたことなかった。美味しいものを作るお店が山形にも沢山できたんだろうね。山形の納豆、沢庵も売ってる。
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冷凍のケースの中に札幌からのバームクーヘンとかりんとうがあった。
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Hirokoのお昼は、玉こんにゃく二串(辛いマスタードつき)と、プチ団子二カップ。小さいお団子が四個入ってた。消費税共に$7だった。山形の山の中で食べた玉コンニャクに比べたら、ここのはサイズも味もかなわないね。
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旦さんは鉄火巻き。これも消費税共に$7かな。
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この他に九州からのもあったようだった。サツマイモの美味しいそうなのが出てたから。ミツワに行くと日本の味の美味しいものが食べられて嬉しい。

日本を偲んで、美味しいものを食べた報告だけ。
プロフィール

Tsukasa Hiroko

Author:Tsukasa Hiroko
初めの家は塵でできており、砂の上に建っていました。
四十年前にシカゴで木の家を岩の上に建てさせていただきました。
今はレンガの家が岩の上に建つようにしていただいたようです。
金の家になれる日を望んでいます。

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