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雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ち付けても、倒れることはない。岩を土台としているからである。

クリスチャンの生活

2010年DCJCキャンプ

8月13日(金)から15日(日)まで、ウィスコンシン州レーク・ジュネーバの街にあるキャンプ地で行われた教会のキャンプに行ってきた。フラ・ダンサーでキャデラックの持ち主の教会のお友達が、Hirokoほか、あと二人を誘ってくれて、連れて行ってくれた。旦さまとエルサはお留守番。

8月13日(金)このキャデラックで、シカゴを出発し、二時間後にはキャンプ地。
10 08-13 Camp 1-1
これは四人のレディースのための特別の家。普通はキャビンに泊まるのだけど。
10 08-13 Camp 1-2
これは家の中の様子。暗かったので写真の色がおかしいね。腕のせいよね。
10 08-13 Camp 1-3 10 08-13 Camp 1-4
二日間の予定表が渡されたので時間割を研究中。
10 08-13 Camp 1-5
「朝食は何時。」
「朝食の前に祈祷会があるだって。祈祷会が8時で、朝食は8時半。」
「今夜のデナーはないんだね。」
「デナーはそれぞれでということか。ジューネバの街に行こうよ。」
「行こう、行こう。」
ところでこのキャデラックの中の四人のレディースはみんな方向音痴だった。はじめは、曲がる角をミスしてしまった。
「ここは何処。」
「コーン畑の真ん中だね。」
「曲がるのをミスしたらしいね。戻らなくちゃ。ハイウエイ210を注意してみててよ。」
「O.K.」
「あっ、ここだ。ここで曲がるんだよ。」
キャデラックのレディーは左に曲がった。誰も何にも言わなかった。
。。。
「ここは何処。」
「コーン畑の真ん中だね。」
「間違えて曲がったんだね。戻らなくちゃ。」
「あなたが地図をよーーーく見ていてよね。」
「何で私がみるの。」
「あなたは助手席に座ってるんだから。」
「O.K.!O.K.!」
「ジュネーブの街だよ。」
やれやれ、やっと「ポパイ’s」という海鮮料理のお店を見つけ、席についてやれやれ。
あれこれ言いながら焼き魚とフライの魚を注文し、食べることができた。とても美味しい魚料理だった。食事が終わっても降りはじめた大雨が止みそうもなく、おしゃべりを楽しんでいた。でもお店がだんだん混んできて、おしゃべりしているだけでは申し訳ないと、デザートを注文した。アップルパイとカスタード。これも美味しかった。
雨も止んだようだからキャンプへ戻ろうか。ところがハイウエイに入ったらまたまた大雨になった。
「美味しいレストランだったね。」
「次のときもあそこで食べたいから名前覚えておいてね。」
「いやー、写真とるの忘れた。」
「冬も来れる。」
「冬も来れるよ。来ようか。」
「ところで、ここは何処。」
「コーン畑の真ん中だね。」
「東に向いて走ってるの。」
「違うよ。夕日が目の前に見えるから西に向かってるんだよ。」
「わあ。それじゃ違い方向に向かってるよ。戻らなくちゃ。」
「おしゃべり止めて、道をよーーーく見ていてよ。」

やっと、やっと、泊まる家に辿り着いた。やれやれ。
そしてまた、時間を忘れておしゃべり。
「寒いね。エアコンを80度にしよう。」
「80度。駄目だよ。60度にして。」
「シャワーに入って、もう寝ようか。」
10 08-13 Camp 1-6
これはHirokoが寝たバンカーベット。

8月14日(土)の忙しく楽しい一日のはじまり。まずは朝食風景。
ここのダイニング・ホールにでは、Hirokoの教会だけでなく、多くの教会の方々も一緒に朝食をした。
この写真はそのホールの三分の一くらい、そこでボランティアをしている働き人たち。
10 08-14 Camp 1-1 10 08-14 Camp 1-2
その朝の食事。パンケーキ、オートミール、ソーセージ、かき玉、飲み物、果物などなど。
10 08-14 Camp 1-3
朝食風景
10 08-14 Camp 1-4 10 08-14 Camp 1-5 
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9時半からの大人の聖書の勉強の時間
10 08-14 Camp 2-1
今年の勉強の主題は「祈り」の方法。ACTSという型を使って、祈りをすると有意義であることを学び、実行した。
A-Adoration   神を褒め称える
C-Confession  罪の告白をする
T-Thanksgiving 感謝を捧げる
C-Supplication お願いことをする
これら一つ一つの説明のあと、実際に静かな場所を見つけ、一人になって教えられた祈りの方法で実際に祈り、霊想し、そこで何を学べたか話し合った。
結論として、祈りは神との会話であるのだから、人がいろいろ話すよりも、静まって神を思い、神の言うことを聞くことの重要さ、またこの型に沿って祈ると願いごとなどしなくてもいいと思えたなどの意見が出た。

12時半に昼食。健康的ハンバーガー、とホームメイドのポテトチップス。

1時半から年齢を超えたゲームの時間
「Intergenerational Activityゲームって何。」
「老いも若きも、みんな一緒になってゲームをするのよ。」
「ゲーム。私たちは動けないよ。走れないよ。」
「シニアは動かなくてもいいよ。子供たちを応援してくれれば。はい、これがあなたのグループのナンバー。」
「グループ。まあ、いいか。応援だけなら。」
それが応援だけじゃなかった。キャデラック・レディーとHirokoは歌をハミングさせられた。みんなはそのハミングを聞いて歌の名前を当てるのだ。
もう一人のシニアは、ゲームの一つで、大きな部屋の中のコーナーからコーナーへと歩き回った。
絵を描いて、何のことが当てなければならないゲーム。ピクチョナリー・ゲームと言うそうだ。
そのほかにも沢山やらせられたので、四人のシニアはへとへとになった。
10 08-14 Camp 3-1 10 08-14 Camp 3-2

これが終わると自由時間
さて自由時間には何をしようか。家に帰り少し休んだあと、アイスクリームを食べにジュネーバの街へ出かけた。
これはジュネーバの街のはずれ。あまり大きな街ではないけれども、サマーハウスなどのある街にふさわしく、有名店がたくさんあった。
10 08-14 Camp 4-1
アイスクリームの店も名が通った店だった。勿論、アイスクリームも美味しかった。
10 08-14 Camp 4-2 10 08-14 Camp 4-3
今度は全然迷わずに、ジューネバの街へ行き、帰って来れた。

夕食のあとはキャンプファイヤーとのことだったが、四人はごめんさせて貰い、夕食のあと、早々に家い引き上げて来た。
明日は早くここを引き上げる予定なので、早めに寝ることにした。

8月15日(日)洗礼式、礼拝出席はできなかった。
キャデラックレディーが、午後、「銀座ハラデー」(このお祝いの様子を8月15日づけのブログに載せてある)でフラダンスをすることになっていたので、8時にキャンプ場を出た。途中、ジュネーバで朝食をした。
朝食をしたレストラン
10 08-15 Camp 1-1 
注文したもの 美味しそうでしょう
10 08-15 Camp 1-2 10 08-15 Camp 1-3
「美味しいね。」「うん、美味しいよ。」
10 08-15 Camp 1-4

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キャンプを計画してくれた人たち、また先生、そして指導者たち、ありがとうございました。
そしてキャデラックレディーには感謝感激。

何よりもこのキャンプを可能にしてくださった主なる神に、感謝を捧げます。
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愛されている光子

愛されている光子 7.円覚寺 II

横浜にあるスイス系貿易商社に入って二年近くになった。世の中は、東京で行われるオリンピックのことで騒がしかった。土曜日で半ドンなので、光子は円覚寺へ行くことに決めた。同僚達は、三々五々、デートの相手と出かけるもの、映画を見に行くもの、催し物、ショッピングなど、楽しみを見つけて出かけて行った。光子は心の通い合う二、三人と中華街での昼食へと出かけた。
「お給料貰ったばかりだもの、いつものもやしラーメンじゃなくて、チャーシューなどの入ったもの食べようよ。少し綺麗なレストランでね。」
光子の働いているスイス系貿易商社は、桜木町の中華街の近くに事務所があった。お給料近くなると、みんなもやしラーメンを迷路の中にあるあまり綺麗でないレストランで食べた。でもこのもやしラーメン、味は一等一番だった。
その日は少し綺麗なレストランに入り、注文したあと、仕事の上の問題、仕事が大変、辛い、つまらない、ボスが分かってくれないなどと話し合い慰めあった。でも最後にはいつもみんなで反省し、文句を言うよりも一人一人何か建設的なことを考えることにした。その日は高校出たての若い青年が、
「光子姉さんは、円覚寺ですか。今日は」と質問があって座禅の話になった。
「あのね、座禅って話し合て分かるものじゃないと思うんだ。いつか一緒においでよ」と光子は三人を誘った。
「でも、足、痛いんだろうな。」
「黙って数だけを数えるだけなんて時間の浪費みたいでとっても出来ないよ。私は。」
「会社のことが解決できるなら行ってみてもいいか」など勝手なことを言った。
「座禅すると、もしかしたら会社のことも解決できかもしれないよ」と光子。
「へえー。どうやって。」三人とも興味をもって質問した。
「ものの見方が変わるというか。毎日私たちが苦しんで生きているのは何のため。生きる目的というのが分かったら、考え方が変わると思うよ。」
「僕は、その生きる目的というのが知りたいんだよ。」
「私は結婚して、赤ちゃんを産んで、よい家庭を作るのが目的なんだけど、なかなかいい人いないしね。座禅ではそんな人探せないでしょう。」
「東大生、早稲田生が来てるよ。」
「僕の友だちが、人は生まれて一日一日死に向かってる。生きる目的は死だと言ったけど、そんなの悲しいよなあ。」
「この世に生きるということは苦のみですってよ。」
「僕も座禅して、生きる目的とか、光子姉さんのように死んだあとどこに行くのかって考えようかな。本気になって。」
「あんた、今、足が痛いでしょうって言ったじゃない。」
「そうか。そんなに足痛いですか。」
「痛いわね。でもその痛みの中で、眠くなるから不思議よね。」
「山司さんはどこでも、眠るからね。」「わあ!本当、本当」などと大笑いした。
座禅も経験のためやってみるから次に行くとき連れて行ってくれと、若い青年は言った。女性たちは考えてみるというので、年末を座禅堂で過ごし、初日の出を相模湾で見るのもいいよというと、楽しみだけ考えて、そのときは行くなど言った。
光子は昼食のあと円覚寺へ行く電車に乗り、窓の外を過ぎていく木々の葉の色が変わりはじめている景色を見ながら、この景色も四、五年近く見ているなあなどと思い、過ぎ去った月日のことを考えた。
大きなことでは大学の卒業があった。あまり英語の勉強をしなかったが、何とか卒業できた。英語と日本語の教師の資格も取得した。そしてあちこちの学校へ就職運動もした。
そんなとき山形のお母さん、祐天寺の伯母さん、横浜に住んでいるお父さんの友人ご夫妻などから、お見合いの相手の写真が手渡された。お茶の先生で座禅にも興味を持っている人、政治家、画家などいろいろな人がいた。政治家は成功したか、また画家は有名になったとあとで聞いた。
仕事の同僚とのデート、また雅歌老教授の読書会の一人ともデートをした。読書会の一人はクリスチャンで、二、三歳年下だった。相手のお母さんが心配して北海道から出て来られ、会ったとき横浜の中華街でお昼をすることになり電車に乗った。光子は乗り物酔いが激しいので電車に乗るといつも眠ることにしていた。その日も電車の中でぐっすりと眠ってしまった。相手のお母さんはそれを見て考えられたのかもしれない、年上ということで反対された。この方は二、三年あと癌で亡くなったそうだ。
もう一つ、前に下宿していた六本木の大家さんからで、アメリカのシカゴから英語が分かるお嫁さんを探しているのだがどうだろう、写真と履歴書をこちらから送ることになっているのだがと言われていた。
卒業後、先生になるべく運動したが、英語と日本語の先生の資格を取得したといっても、光子には本当にその資格がるのか、疑問だった。英語も日本語も文法に弱く、知っている英語の単語の数が少なく、英語で日常会話をするには不便しなかったが、その発音だって完全ではないことを光子が一番よく知っていた。何校かに面接に行ったが、断られなかったものの保留などとされた。こんな力のない先生に教えられる子供たちのことを思うと責任の重さに怯んでしまった。結婚しても先生をしていける情熱があるのかも分からなかった。雅歌老教授、偏屈先生、円覚寺の老師などのことを思い、光子には到底、この人たちのように人を導く力などない、自分自身がまだまだ迷いの中にいるのだからと、先生になることは諦めた。そして今の会社に勤めはじめ、英語の書類に目を通したり、輸出入の仕事をし、小さな翻訳の仕事などもさせてもらったりしていた。

そんなことを思っているうちに北鎌倉駅に着いた。電車の中で考えごとをしたため眠らなかったので、誰もいない秋の匂いのする静かな円覚寺の本堂の階段に座って、しばらく休むことにした。本堂に行きしばらくすると声をかけられた。見るとお茶で一緒になる女の人が立っていた。この人は座禅に来て長くなるらしいのだが、今まで一緒になることがなかった。お茶ではあまりお喋りができないし、話し合えるチャンスがなかったので階段を下りて行った。
「お茶の先生があなたも座禅にきていると聞いたのですが、今まで会ったことがありませんでしたね」と話はじめられ、光子の知らないことをいろいろ教えてくれた。円覚寺には女人専用の宿舎があり、座禅もできるようになっているとのことだった。その方は朝早くから座禅をさせてもらって今帰るところだと言った。今日は老師が呼んでくださり、会いに行ったことを話され、老師の顔を見ているうちに、「仏の中にどっぷりとつかってます」と言ったそうだ。老師はにっこりと笑ってくださったと言って喜んで帰って行った。
光子はいつもの座禅堂へ行くと、老師が呼んでくださっていると言われた。今度こそ、何か問題がもられるかと期待した。またはあの人のように老師の顔を見ているうちに何か心にひらめくものがあると良いのになあなどとも考えながら座禅をはじめた。
お昼をたくさん食べたので何も食べないで座るつもりだったのに、時間がたくさんあったため北鎌倉の町の中を歩いているうちに美味しそうなお汁粉やさんがあり、入ってしまった。電車の中では考え事をしてしまったし、静かになり、何の音もしない中でじっと座っているうちに眠気に襲われ眠ってしまった。肩をとんとんと叩かれ、びっくりして目を開けると本田さんが立っていた。感謝の気持ちで頭を下げ、教えられたように両手を組み、上体を前に倒し、力を抜き、肩から背中を軽く叩いてもらった。それで眠ることなく座れるだろうと感謝した。
お坊さんが老師のところに行くように言ってくれた。老師は円覚寺の一番奥まった高いところに建てられた建物に住んでおられた。そこまでの坂道と階段を一歩、一歩昇りながら、「仏陀の中にどっぷり」とあの人は言ったが、仏陀の中にどっぷりになってしまったら、自分が無くなってしまうのではないだろうかなどと考えているうちに老師のところに来た。いつ来ても緊張させられる一瞬だった。襖の外で声をかけ、中に入り、三拝九拝の礼をし、老師の前に座った。老師は座禅をしておられるように半眼で仏壇の前に座っておられた。光子はその前に座ったが、何も心に浮かばないし、全然ダメだなあとの思いが駆け巡った。そんな光子の定まらない心が見えるのかも知れなかった。老師は目をぱっと開かれ、一言、「無」と言われた。
「ありがとうございます」と言って、光子は老師の前を下がった。座禅堂に帰りいつものように座り続けた。寝坊することもなく、作務も、朝食も無事終わった。お坊さんから、
「今朝は老師の説話があるので聞いて帰るように。説話は本堂で、一般の人たちも来るから、脇のほうに座って聞くように」との報告があった。みんなで朝食の後片付けをしているうちに時間になり、着替えないままはかま姿で説話を聞きに出かけた。
「般若心経」を一緒に和し、いよいよ老師の説話がはじまった。以下は、そのときの説話から、光子が聞き、心に響いたものの概説である。
「釈迦は、「人生は苦である」、即ち、生きていることは苦しみの連続であると説き、全てのことは「縁」によって起こるとも話された。いかなるものごとも独立して存在するのではなく、それぞれの原因と条件が相互に依存しあって存在している。人生とは本質的には苦であり、その苦の原因を明らかにし、その原因の消滅を心がける。それにはまず煩悩をなくすこと、そして実践(修行)が必要である。じゃ何を実践するか。釈迦は八正道、即ち、「正しいものの見方」「正しい思慮」「正しい努力」「正しい注意力」「正しい精神統一」である。」
正しく生きること、これらを百パーセント、誰が実践できるのだろうか。これでは光子は罪人だと言われていると同じようだった。これらは修行することによって得られるものと老師は仰っている。でもキリスト教の罪は修行では解決できないもののようだった。
説話のあと座禅堂に帰ると、お坊さんがおらず、昼食をして帰るようにとのノートがあった。本田さんはじめ二、三の人たちが残ると言ったので光子も素うどんなどいただけるかななどと期待して残ることにした。
いつもの溜まり場に座って老師の話が良かったこと、でも実践は難しいなどと話し合った。光子は良いチャンスなので、
「死後の世界については、どう考えてるですか」と聞いてみた。
「仏教では基本的には生まれ変わり「輪廻」が説かれているけれども、俺はどうも動物などに生まれ変わりたくないと思っている。死んで直ぐ仏になれる自信はないけどね。」
「釈迦は、そのようなこと、死後の世界とか、霊魂の有無など説明がつかない問題は不可能なこととして退けたと読みましたよ。」
「まあ、死後の世界のことを退けるというよりも、そのことはそれで重要でしょうが、そのことでとやかく言う前に、人がどのように生きるか、即ち今朝の老師の説話に戻ることになる。」などと言われ、結局は死後の世界よりも、いかに生きるかが課題となった。
そんなところにお坊さんが帰って来て、チーズ、レタス、トマト、キュウリなど、お昼のものを買ってきたと言った。お寺でチーズ・サンドイッチとサラダの美味しい昼食をいただいた。そのあと家路についた。

十二月八日は釈迦が開眼された日と言われ、その前の一週間を集中座禅そして励むのだ。通常、朝四時から次の日の朝二時まで、即ち、二十二時間の座禅になる。はじめは座禅場に入りきれないような人数だったが、一人減り、二人減りして最後の頃はいつもの常連に三、四人が加わっただけの人数になった。開眼日の座禅も終わり、家路につきながら、この一週間の集中座禅で何か得たものがあっただろうかと考えた。やり遂げたという満足感はあった。そのほか足の痛み、眠気は勿論だったけど、寒かったこと。男性諸君は寒くないような顔をしていたが、光子は寒さで肺も心臓も凍ってしまったようで。寒さのため顔色も変わり、歯が合わないでカチカチしたこともあって、お坊さんに呼ばれ大丈夫かなどと聞かれた。お坊さんは、胆下に力が入っていないとそうなると言われ、下腹に力を入れて座るようにと注意してくれた。そんなで本当に寒かったとの思いも残った。

この寒さとは反対に、八月には虫干しの行があって、そのときも時間にしては十二月と同じような集中座禅が行われた。このときの座禅は暑かった。半眼にして座っていると汗が目の中に流れて入ったりした。でもさすが鎌倉で木々に囲まれている座禅堂に時折入ってくる風は気持ちを引き締めてくれた。その期間中、虫干し、即ち「宝物風入れ行事」があり、円覚寺のいろいろな重要宝物が虫干しされた。ある年の虫干しに釈迦涅槃の大きな絵が壁一杯にかけられた。その絵を描いた人が誰か、いつ頃のものかなどとみんなは話し合っていたが、光子は仏涅槃図の中の等身大の釈迦が横たわっている姿に釘づけられた。涅槃なのだから、これは釈迦の死のときの様子を描いたものだ。そこに横たわり描かれていた釈迦には死の陰が見えなかった。横たわった釈迦の周りには、十人の弟子たちは勿論、動物たち、そして花々、木々でさえも、釈迦を見守って悲しんでいたが、死を思わせる暗いところのない美しい絵だった。
それを見ていて光子は思い出した。雅歌老教授は比較宗教はいけないと仰っていたが、光子は比べざるを得なかった。それは緩やかな坂道の上にある大学の礼拝堂、雅歌老教授の部屋に掛かっている十字架上のイエスの死を描いた絵だった。イエスの頭には棘のある冠があり血がしたたり落ちているし、肉体のあちこちは鞭で打たれたところの肉が裂け、血が滴り固まっており、両手両足に打ち込まれた釘からも血が流されていた。ここまで酷い死に方ををしなければならないイエスを光子は何と考えてよいのか、迷ってしまった。
光子は、死後のことはともかく、死ぬときには、十字架上のイエスのようにではなく、涅槃の絵の釈迦のように死にたいと思った。死後のことよりも、まず、何のために生きるのかを考えることが先決問題だった。
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お寺で食べたチーズ。サンドイッチとは違う、シカゴのチーズ・サンドイッチのレシピを続きに書きますので見てください。

シカゴあれこれ

銀座祭り

八月十五日。日本では、お盆でしたね。

シカゴでは、恒例の「銀座祭り」がカゴ中西仏教会で催された。テレビでも紹介されるくらい有名になった日本の紹介をかねた催し物である。この日は何故か、いつも天気は良いが暑い、暑い日になる。今日も暑い日だった。

仏教会の全景を撮ってこなかったのが残念。

まずはシカゴ一美味しいと言われている照り焼きチキンを買うためのチケットの購入。その他飲み物などを買うために余分のチケットも購入。
チケット販売ブース。その隣がビールのブース。
10 08-15 Ginza Food 1 ticket 10 08-15 Ginza Food 2 beer
チケットを買ったけど、暑いからチキンは帰り際に買うことにして、地下室のいろいろな展示即売会を見にいった。
まず入ったところで墨絵の実演即売会。
10 08-15 Ginza B-1 10 08-15 Ginza B-2
その隣は手つくりの小物やさん。その隣は折り紙などの日本の工作の本やさん。
10 08-15 Ginza B-3 10 08-15 Ginza B-4
そして正面にはずらりと生け花が並んでいた。その隣は絹を使って作ったお花。
10 08-15 Ginza B-5 10 08-15 Ginza B-6 
ここはHirokoのお友達が出している店。器用な方たちでクッション、スカーフ、セーターなどなどを作り並べていた。そのとなりは額縁やさん。これも手製。
10 08-15 Ginza B-7 10 08-15 Ginza B-8 
折り紙人形。折り紙人形を使ってカードや壁掛けなど。
10 08-15 Ginza B-9 10 08-15 Ginza B-10 
最後は盆栽。
10 08-15 Ginza B-11
外にも展示即売会場があるとのことで建物を出たら、そこには舞台があって、シカゴの太鼓クラブが終わったところだった。残念。見られなかった。でも次の出し物が柔道と剣道。
10 08-15 Ginza Shows-2 10 08-15 Ginza Shows-3
太陽の照りつける暑い中、見ている多くの観客。
10 08-15 Ginza Shows-1
柔道と剣道の実演を見たあと、外にある展示場へ。どうぞ写真をみて理解してください。何の展示販売場か。
10 08-15 Ginza Out-3 10 08-15 Ginza Out-4

10 08-15 Ginza Out-6 10 08-15 Ginza Out-7

10 08-15 Ginza Out-8 10 08-15 Ginza Out-9

10 08-15 Ginza Out-10 10 08-15 Ginza Out-11
刀なども売っていた。
10 08-15 Ginza Out-12
多くの材料が日本のものだからでしょう、良い値段。

そとの展示即売会をみていたら、可愛い男の子が甚平さんを着てたので写真を一枚撮ったら、次はちゃんとポーズしてくれた。これ僕のお父さんが作ったカードだよって。
10 08-15 Ginza Boy-1 10 08-15 Ginza Boy-2
さて、いよいよウクレレ・グループによるハワイをしのぶ出し物。このグループのフラダンスの踊り子さんに誘われてここに行ったのだから、これは気を入れて見なくちゃ。まずハワイの歌からはじまって、フラダンス。
10 08-15 Ginza Hawaii-2 10 08-15 Ginza Hawaii-3
Hirokoの大家さんの奥さん。膝の手術をして痛いと言いながら一番上手に踊っていた。
10 08-15 Ginza Hawaii-6 10 08-15 Ginza Hawaii-7
ハワイ出身のお父さんに毎日楽しく訓練されている十台の可愛い女の子たちによるハワイの歌。司会者が最後に何歳か、練習はどうかなどと質問していた。
10 08-15 Ginza Hawaii-8 10 08-15 Ginza Hawaii-4
最後を飾るアロハオエなどの素晴らしいフィナーレの歌とフラダンス。
10 08-15 Ginza Hawaii-1
さてフラダンスも見たし、夕飯のための照り焼きチキンを買って、帰りましょう。
10 08-15 Ginza Food 3
観客も多かったけど、ここで食べている人も多いね。照り焼きチキンが有名なのがわかるね。
10 08-15 Ginza Food 4 10 08-15 Ginza Food 5
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続きに、ダンスと歌のことについて、キリスト者がどう考えたらよいか、どうぞ読んでください。
プロフィール

Tsukasa Hiroko

Author:Tsukasa Hiroko
初めの家は塵でできており、砂の上に建っていました。
四十年前にシカゴで木の家を岩の上に建てさせていただきました。
今はレンガの家が岩の上に建つようにしていただいたようです。
金の家になれる日を望んでいます。

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