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雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ち付けても、倒れることはない。岩を土台としているからである。

ガーデン

ポーチ・ガーデン3

寒くなった!毎日寒くなるばかり。あの暑かった夏は何処へ行ったのか。天気予報も、これから暖かくなる日はもうない、寒くなるだけ、日も短くなる一方とのこと。

さて、それではポーチガーデンも終わりにしよう。まず手始めにしし唐の木を丸裸にした。
10-16 Shishito 1
しし唐とその葉の収穫
10-16 Shishito 2
洗ったしし唐の葉
10-16 Shishito 3
しし唐の葉を湯がいたあと、葉がかぶるほどの水と、醤油、砂糖少々、だし汁、酒で味付けし、水がなくなるまで煮続けた。
あんなに多くあったしし唐の葉は一握りのものになってしまった。
10-16 Shishito 4
でも美味しいしし唐の葉の佃煮ができた。ふりかけなしの玄米をたくさん食べた。
10-16 Shishito 5
しし唐(2インチ程の長さ)は炭焼きなどできる大きさにはならなかったので、鷹の爪と一緒にバター焼きしたら、これも本当に美味しかった。感謝。感謝。

美味しいものを食べると思い出すのは詩篇23編。続きに書くので読んでください。
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シカゴあれこれ

秋も深く、寒さもだんだんと厳しくなっているこの頃、楽しみの一つのオペラのシーズンが開けます。シカゴではシーズン・オープニング・ゲラは毎年大体十月一日に行われます。オープニング・ゲラなどには行かれないけど、シーズン中四回のシーズン・ティケットをメリーさんと一緒に買ってるので、一回目のオペラに行ってきました。

シカゴのオペラ・ハウス「リリック・オペラ・ハウス」という名だけど、パリなどのオペラ・ハウスに比べたら何とも可哀そう。これが正面です。
10-29 Opera 1 10-29 Opera 2
オペラ・ハウスの周りも菊の花が満開で秋を思わされます。この写真を撮ってるとき丁度二階建ての観光バスが来ました。こんなバスに乗って郊外からオペラを見にくるんです。
10-29 Opera 3
建物の中に入ると広いところがあって、オープニングのときなどイブニング・ガウンを来たレディース、タキシードのジェントルマンでここは賑わうのです。
10-29 Opera 4 10-29 Opera 5
私たちの席はバルコニー、それでもバルコニー・ワンで前から三列目くらいのところです。そのバルコニーからステージと一階の写真を撮りました。家屋の中で撮るとどうしてもこんな色になるですよ。どうしてでしょうね。
10-29 Opera 6
10-29 Opera 7
これはステージから横の写真。そしてバルコニーの写真。
10-29 Opera 9 10-29 Opera 8
ここからはシカゴの秋の写真です。
まずは何んといってもハローインの飾りつけ。2009年にはハローインらしい飾りつけの写真、そして教会で催したハローイン・パーティーの写真など載せましたので、それもまた見てください。ハローインが楽しめます。
アドレス http://ishimaru92.blog105.fc2.com/blog-date-200911.html これをPasteしてください。
10-29 Holloween 1
シカゴ郊外のあるお家には百余のパンプキン全部に顔が彫られて飾ってあるそうです。壮観でしょうね。きっと!
10-29 Holloween 2 10-29 Holloween 3

毎日歩いてますが、そのときに秋らしい風景を撮りました。
10-29 Autum 2
裸になった木々とその木から落ちた葉っぱ。掃いても、掃いても積もる葉っぱ。
10-29 Autum 3 10-29 Autum 1
「女ごころと秋の空」っていうけど、一日違いでこんなにも違う秋の空です。
10-29 Autum 4 10-29 Autum 5

見てきたオペラについて、続きにかきますから読んでください。
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愛されている光子

愛されている光子 8.チェンジ

東京オリンピックのあった年、光子は将来、夫となるかもしれない人、正人と、早朝の羽田ではじめてあった。九月の初旬だったのに肌寒かった。光子の心の中には、期待と恐れに似たものがあったのが、肌寒さを感じさせたのか。
光子の結婚は写真結婚だろうか。いや違う。ペンパル結婚だろうか。どうもそれとも違うけど、その両方だろう。光子は、知人友人を通してのお見合いの話、同僚、同級生から将来結婚につながる交友をと誘われた中から、シカゴにいる人と結婚を前提とする手紙のやり取りをすることを選んだ。光子が二十六歳の時だった。
光子は、六本木にある森嶋家の離れを借りて住んでいたときのことだった。そこの大家さんは交通局に勤めていたが、同僚の方から頼まれたと言ってその話をもってきた。同僚の方の姪御さんが結婚してシカゴに住んでいるが、最近手紙を貰って、義兄がいまだ結婚していないのだが誰か英語ができてアメリカに来たい人はいないだろうか、探して欲しいと言ってきたのだとの話だった。大家さんはその話を光子に持ってきて、いい話と思うのだがどうだろうか、考えてみてくれるようにと言った。
山形と東京は離れていても、汽車で一夜明ければ行ける距離なのだから、家族に何かあれば直ぐに行けるが、アメリカではどうなるのだろう。アメリカは行って見たい国だが、地球の反対側だし、お父さん、お母さん、家族とも随分離れてしまうけどとまず考えた。
それに結婚するには、まず心の中を整理しなければ。こんな疑問だらけで、いつも何かを考え、生きることの意味も分からないようでは家庭を持ったって良い家庭は作れないではないかなどと考えると、家庭を作り、子供を育てていく自信が全然なかった。人を教育したり、育てたりすることの難しさをつくづく考えさせられていたときだった。
そんな中、相変わらず毎日のお勤めにでかけ、雅歌教授の読書会に、お茶に精を出し、座禅にも行っては生きていることの意味を探しあぐねていた。雅歌教授には時間があるとき、あちこちへと連れて行っていただいた。教授に浅草の泥鰌やに連れて行ってもらったとき、結婚のことを相談した。教授は結婚のことについて、
「この頃の若い人たちは恋愛などと言って、愛なのか、恋なのか、その中に溺れてしまっている。それでは長持ちしない。愛は徐々に育てて行くもの。一年目の愛と二年目の愛、十年後の愛は育っていなければいけないよ。」
「先生の愛は、どんな風に育ててるんですか。」
「うん。私たちの愛ね。私たちは恋愛じゃないし、見合いでもないし、私たちは二人とも救世軍で働いていて、毎日会っていたわけだから。救世軍の方々、また家族が話し合って決められたのかな。」
「先生、恋愛じゃないんですか。雅歌を解説した先生だから恋愛かと思ってました。」
「まあ、でも若いときから知っていたからね。恋愛的感情もあったかな。でも私は、まだまだ結婚できるとは思ってませんでしたよ。」
「どうしてですか。」光子はここのところが大事なところとばかり先生に質問した。
「私にはしたいことが沢山ありましたからね。その中の十分の一もできていなかったから。救世軍に勤めてはいたけれども、何かキリスト者としてしなければならないことが分かっていなかった。世の中には貧しい人たちが多くいたし、心は痛むけど私にできることなど何もなかった。山室先生のようにその人たちの中に飛び込んでいく勇気もなかったし」と、先生は仰った。その先生から、何かするべきことをしなかった痛みのようなものを光子は感じ、何もいうことができなかった。
「そして私は、結婚して子供もできてから、アメリカに勉強に行かせてもらい、妻にも、子供たちにも随分辛い思いをさせたと思ってますよ。」
「そうですか...。でもそのあと先生は本もお書きになり、大学で働き、若い人たちを指導し、いろいろ意味あることができたではありませんか」と光子は言った。しかしそれは何か的外れのことを言ったようだった。教授はそのことには何も言わず、
「山司さん、結婚するなら、その人に仕えられるように。また子供たちにも仕え、十二分に愛することができるようにしてくださいね」と、しみじみと仰った。そのあと銀座に出て、アイスクリームを食べて家に帰った。
家に帰ってから教授の話を反芻し考えていた。結婚すれば生きる目的は愛すること、それは相手に仕え、子供を愛し、家族みんなで生活を立てていくことと考えなければ、良い家庭を作り育てていくことはできなさそうだと思った。
一年位経ったとき、大家さんから呼ばれ、どうだろう考えてみたかねと聞かれ、光子はびっくりした。忘れていたわけではないが、もうこの話もないものと思っていたのに、まだ続いていたようだ。大家さんは、良い話と思うけど、やはりアメリカでは遠すぎるね。無理にとは言わないよと仰ってくれた。光子は、山形のお父さん、お母さんとはこのことについて相談していた。お父さんもお母さんも意外と乗り気で、お祖母さんもそうだったけど、自分たちと同じように光子も冒険して、アメリカまで行くんだねなどと、もう行くようなことを言っていた。淋しくなるけど今は飛行機で直ぐに行けるんだし、自分達のことは大丈夫だから考えてみなよと言ってくれた。山形のお父さん、お母さんの言ったことを大家さんに話し、それでは一応こっちから履歴書と写真を送って、向こうから何と言ってくるか待ってみようではないかということになった。
光子はいわゆるお見合い用の写真などなかったし、それよりも自分の好きなことをしている写真をと思って、山に行ったとき撮った写真と英語の履歴書を用意して、三日後に大家さんの家を訪ねた。大家さんはやはりお見合い用の写真のほうがと言ったが、光子の考えをいうと、それもいいね、じゃ、この写真を同僚の方に届けると仰って預かってくれた。それから一ヶ月もすると、シカゴのほうからも履歴書と写真が来たので取りに来るようにと大家さんから連絡があった。
その人は、井上正人と言い、光子と同年だが半年早く生まれていた。郵便局に勤めているお役人さんだった。大家さんからは、これからは自分たちを通さなくてもよいから直接手紙を書くようにと言われた。
手紙を受け取ったことの連絡をする前に、山形のお父さん、お母さん、それに雅歌教授にもそのことを知らせ、写真なども見せたかった。勿論、山形の両親は喜んでくれて、写真結婚と言って若いときの写真を送る人もいるらしいけど、この人の場合はそうじゃないようだし、いいと思うようよ。アメリカに行ってみなよ。自分達も訪ねるよなんてのんきなことを言った。
大学の雅歌教授の部屋を訪ね、写真を見せ、手紙の交換をしようと思うというと、教授は手紙のやり取りというのはいいことですよと仰ってくれた。毎日のことを何の飾りもなく書き合うようにしなさいとアドバイスしてくれた。そしてその日も、教授は結婚生活についていろいろ話してくれた。結婚生活で夫婦が互に理解することは大切なことだけれども、ひとつ間違うと喧嘩になることがある。そんなときアメリカのあのダブルベットというのはいいものですよ。若いときはそのダブルベットに寝て、手足が触れたりし、一夜寝れば「ごめんなさい」などと言わなくても仲直りができるものだ。でも自分達のように年を取るとそうはいかず考えなければならない。夫婦で同じ趣味を持つのが一番いいねなどと話してくれた。教授も、教授の奥さんもそのことを暗黙のうちに実行しているそうだ。奥さんはお茶にはあまり興味がないのにお茶を習ってくれているし、自分も同じで、奥さんのやっている謡など興味がないが、謡の公演を見に行くし、奥さんの出る謡の会にも必ず集積するよう心がけていると仰っていた。
山形の両親も、雅歌教授も淋しくなると言いながら、光子のことを思ってくれてか、手紙の交換をして見なさいと言ってくれた。それで光子は、まず、写真と履歴書を受け取ったこと、これから手紙を書くが、英語の手紙など簡単には書けないので時間がかかることなど、はじめから言い訳を書いたりした。それからは大体二週間に一度の割合で手紙がシカゴと東京の間を往復した。正人からくる手紙にはいつも天気のこと、そして元気に仕事に励んでいると書いてあった。光子もそれを真似て、東京の天気を書いたが、そのあと何を書けばいいのか考えてしまった。教授は毎日のことを何の飾りもなく書きなさいと仰ったけれども、それも難しかった。家族のことをまず書き、それから毎日何をやっているかも少しづつ書いた。向こうからは相変わらず天気のことが詳しく書かれてきた。
手紙をやり取りするのはいいですよと言った教授の言葉が思い出された。同じような文面の手紙を受け取っていると、この人は余り趣味のない、無口な人なのではないかとまず思った。でも光子には何の趣味があるだろうか。読書、山、スキー、お茶などがあるが、山もスキーも一年に二、三度行く程度なのだから趣味と言えるかどうか。読書だって系統だてて読んだりせず、お茶、座禅に関するものは必要に迫られて読み、あとは何でも読みたいものを濫読という程度。でも積読ではなく、買ってきては読んで本箱に本の貯まるのを見るのが好きだった。
正人は、山もスキーもしないらしい。読書はするけど、映画のほうが好き。映画も戦争もの、カーボーイ、歴史ものなど。お茶は全然なんのことか分からない。映画音楽が好きでレコードなど沢山集めているらしかった。音楽ね。光子はオペラやバレーを見たいと思いながらいつも見に行くのは落語とお芝居だった。シカゴには落語もお芝居もないだろう、随分違う生活になるのだななどと考えさせられた。手紙で話し合うとその人となりが大体分かりますと仰った教授の言葉を思い出し、本当にそうだなあと感心した。
光子にアメリカへ行っても大丈夫だよと言ってくれたお父さんが、あっけなく死んでしまった。朝、会社のことをいろいろ見回って、その日の段取りをしたあと、気分が悪いから床を敷いてくれと言って床に入ったのが九時半頃。お母さんは借金取りをはじめ商売関係の人たちとの応対が一段落し、お父さんを見に部屋に行ったときには、お父さんはもう白目をむいていたのが十時半。お医者さんが直ぐに呼ばれ、カンフルを打ったが何の反応もなく、胸を叩きはじめたのをお母さんはもういいですと言って止めてもらったそうだ。それが十一時前後。倒れてから一時間半あったのかどうか。家族はみんなびっくりしたが、お母さんが気強く、その後の始末を全てして、仕事のほうも光子の妹のご主人と一緒にやっていくことになり、光子の出る幕はなにもなかった。お母さんは光子に心配をかけまいとそうやってくれたのだろう。光子に、これからは山司の家も大変になるから、自分のことは自分でやってくれれば、山司のほうは何とかできるからと言ってくれた。
正人と手紙のやり取りをはじめて二年後に、正人のお母さんから手紙が来た。それには光子のことは正人からいろいろ聞いていること、今まで何も言わなかったのは、正人がどう思っているか分からず、変な口出しをしたくなかったからだと書いてあった。そしてもう二年経ったが正人も光子からの手紙を心待ちにしているようだし、将来のことを話し合っていただけないだろうかとの内容だった。
正人のお母さんからの手紙は、綺麗な日本語の字で、内容も素晴らしいものだった。光子は日本語で手紙が書けるのならと、直ぐに返事を書こうとしたが、さて、何と書くべきか、将来を考えると言っても、正人はどう思っているのか。まずは正人に手紙を書き、あなたのお母さんから手紙が来て、将来を考えるようにと言っているがどうしようかと、正人のほうに責任を取ってもらうことにした。そのあと正人のお母さんには手紙を頂いた感謝の手紙を書き、よろしくと挨拶をした。手紙もこうなると行き違いないように言葉の端々に気をつけなければならなかった。
結婚の話は、手紙が来たり、返事を書いたりするときは考えたが、本人が居ないためか実感が沸かなかった。やはり死の問題、罪の問題が心を占める率のほうが高かった。雅歌教授の読書会ではやはり罪の問題がいつも話題になっていた。聖書を読んでも罪の問題がよく書かれている。聖書には罪の一つとして性の問題を大きく取り上げているように思えた。日本人的感覚からは性と罪とは切り離されているように考えられた。同性愛のために牢獄に入れられるようなことはない。また不義姦通も悪いこととはいうが罪とは言わない。かえって愛の賛歌のように心中などをさせて、その愛を貫く美しさを書いたりしている。
光子は、よし、性のことを勉強するため仕事のあとに、三、四時間でもキャバレーなるところに勤めてみようなどと考え、そんなところへ仕事探しに出かけた。二、三のキャバレーに行ってみたが、三十歳に手の届きそうなものを雇うところはなかった。
お茶は光子の大切な心のよりどころの一つになっており、みんなから山司さんはお茶にはまり、お茶を崇拝してるねなどと言われるくらい熱心にお茶をやった。先生の免除を取るにも夢中になり、偏屈先生が許してくださると一週間に二、三度通ったりしていた。
勤めの帰り、あの緩やかな坂を上りお茶の先生の家に急ぐときは、光子の楽しいひと時だった。夏も終わり汗ばむこともなくなったこの頃、こんなときのお茶室は気持ちが引き締まりいつも良いお茶を立てることができた。緩やかな坂を急ぎ足で歩いているとき、「光子、光子」と呼ぶ声がした。名前で呼ばれることはあまりないが、親しい何人かの人たちを思い、辺りを見回したがそれらしい人は見当たらなかった。空耳だな。風もないのにと思いながら、二、三歩行ったときまた聞こえた。左の耳にその声は入ってきた。光子が何か言おうかと思っているうちに、その声ははっきりと、罪というのは、神の言うことに反して小指一本動かしても、動かさなくても罪になるのだと言った。
光子は考えた。今日はお茶は止めよう。今のは何だったのだろう。雅歌先生がいらっしゃればいいが。でもこんなことを話したって分かってもらえるだろうか。あのギョロリの目で見られるかもしれない。じゃ、あの人は、この人はと誰かれのことを思い、今のことを話し聞いてもらいたかった。でもこんなこと誰かに話して、信じてもらえるだろうかと考えると、一人になってこのことを考えてみることが一番のように思えた。緩やかな坂の上にある大学の図書館に行った。
座禅が役に立った。静かに座って、静かに呼吸をして、何時間かじっとしていた。聞こえた声が言った神とは、キリスト教の神だろうか。その神の言うことに反して行動することが罪とは、人は神の奴隷になるのだろうか。何だかもう一つ課題を頂いたようでまたまた考えることが一つ増えてしまった。この罪の問題を解決しなければ、どうも結婚どころではないように思えた。
それからしばらくすると正人から手紙が来て、結婚を前提にして日本に行くから会ってくれと言ってきた。ええ、ちょっと待ってと言いたかった。いつ来るの。でも考えなくちゃいけないね。もう、三年になるものね。手紙のやり取りしはじめてから。光子も三十歳になるのだし、そうだ結婚しようか。アメリカへ行こうか。そんなことを書いて正人に手紙を送った。正人は、その返事に、九月に日本に行くと言って来た。
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雅歌教授の結婚観 と レシピを一つ、続きに書くので読んでくださいね。

愛されている光子

大山先生のレシピ二つ

大山先生の記事を9月25日に書いたが、先生のレシピを載せなかったので二つのレシピを下記する。それらは中華料理にない中華料理。

これは先生がお書きになったフーヨータンのレシピ。写真にしたらよく見えなかった。日本語をスキャンするのは、ちょっと勉強してからでないとできないから、すみません。先生は書道・書画も教えておられた。
10- 15 Rev Oyama 10-15 Rev Oyama - 2

先生のレシピを参考にしてHirokoが作ったものの写真
1.フーヨータン シカゴでは一般にエッグ・フー・ヤンと呼ばれており、日本では芙蓉蟹と呼ばれているものと似ている)
先生のレシピ1、2、3の野菜を煮、汁をとり(この取った汁にコンスターチを入れ、先生のレシピ4参照グレービーを作る)、分量の卵を入れたものができる。レシピ5参照
10-15 Egg FooY - 1
レシピ6 上記のものをフライしているところ
10-15 Egg FooY - 2
先生のレシピにはない。油抜きをするための方法 ー フライ揚がったものを煮立っているお湯に入れて油をとる
10-15 Egg FooY - 3
新聞の上にペーパー・タオルを敷き、その上にお湯からあげたものを載せ、水気と油をとる
10-15 Egg FooY - 4
フーヨータン一枚とグレービー
Hirokoはグレービーにはグリーン・ピーズを入れる。色が綺麗になる
10-15 Egg FooY - 5

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2.シューマイ
  先生がお書きになったものはコピーが綺麗に出ないので載せられない
材料
豚ひき肉 2ポンド
牛ひき肉 1/4ポンド
砂糖と胡椒 少々
グリーンオニオン 1束 細かく切る
ウォーター・チェスナッツ 小1缶 細かく切る
もやし 1ポンド 細かく切る
椎茸 1オンス 砂糖醤油で味付けて煮る 細かく切る
生姜 少々 細かく切る
卵 1ヶ
赤ワイン 少々
約3インチ角のエッグ・ロールの皮 1ポンド
水に溶いたコーンスターチ グレービーと皮をよく閉じるときに使う
作り方
(i)ひき肉に砂糖と胡椒を入れて、よく混ぜ合わせる
(ii)グリーン・オニオン、ウォーター・チェスナッツ、もやし、味付けした椎茸、生姜、卵、赤ワインを
   肉の中に一品づつ入れよく混ぜ合わせる
10-15 Shumai - 1
(iii)肉、その他を混ぜ合わせたものをエッグ・ロールの皮に入れて包む
   (しっかりと肉が見えなくなるように包み、コンスターチを解いたものをつけてよく包む。
    写真のHirokoの包み方は駄目。サンプルにしないこと)
10-15 Shumai - 2
(iv)蒸し器に入れて蒸しているところ(この蒸し器をのせてあるしな鍋はミックが日本に帰るときおいていってくれたもの。サンキュー!)
10-15 Shumai - 3
(v)Hirokoの包み方が駄目な理由。肉をしっかりと包まなかったので、肉がはみ出してしまい、シューマイにはならなかった
10-15 Shumai - 4
Hirokoの家族は肉が好きなので、大山先生のレシピで作ったミート・ボールにグリーン・ピースを飾って美味しく食べてもらった。蒸かしてあるので健康的
10-15 Shumai - 5
ミート・ボールのそばにあるのは豆腐ヌードルで作ったパンセ

シカゴあれこれ

家庭養鶏場

Chicagoland Chicken Coop TourがHirokoのお隣の家で行われた。

シカゴ市は、個人の家で養鶏ができることになっている。雄鶏はときを作るので飼ってはいけないそうだ。シカゴ市北部には家庭養鶏をしている人が多くいるらしい。十月三日の日曜日に、それらの家族がどのように家庭養鶏をしているか、一般公開した。

その広告を見た教会の若い一ご夫妻が子供を連れて尋ねてきた。子供たちは庭を走り回る鶏に興味を示し、鶏と一緒に歩き回っていた。
10 10-03 Hen 3 10 10-03 Hen 2
10 10-03 Hen 1
少しするとそれにも飽きたのだろう、質問したいお母さん、お父さんにまつわりつきはじめた。
それで子供たちを家に連れてきて、水とオレンジをあげた。
10 10-03 Hen 5 10 10-03 Hen 4
お行儀の良い子供たちで、ソファに座り、泣きもせず、声を立てずにしっかりとテレビを見ていた。テレビは良いか、悪いか、問題があるだろうけれども、子供のお守りにはかかせない。でもテレビを飽きたらしかったので折り紙をしようかと言ったら喜んでし始めた。と、お父さん、お母さんが来て「サンキュー」いろいろ聞きたいことも聞けてよかったと言って、帰えることになった。子供たちは折り紙をしたいらしかったが、あげると言ったらいい子にして持って帰って行った。

Hirokoも養鶏場を見て写真とれば良かった。いつでもみれると思ったので子供のお守りをすることにした。それに鶏を飼う気もないから。四十人以上の人たちがこの家を訪ねたとのことだった。

子供のお守りもこんな子供たちならいつでもいいね。と言ってもたった三十分もなかったから。

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聖書の中で、イエスさまと子供との関係がたくさん出てきます。イエスさまは子供たちをたいへん愛されたのですね。子供たちのようにならなければ天国へは行かれないとまで仰ったんですから。可愛いイエスさまと子供たちの歌を一つ下記しますね。
Jesus loves the little children イエスは小さい子供たちを愛する
All the children of the world 世界中の全ての子供を
Red, yellow, black and white 赤、黄色、黒、そして白(の肌の子供たちを)
Jesus loves the little children イエスは小さい子供たちを愛する

お客さん、旅人

オハイオさん

3年前シカゴからオハイオに引っ越して行ったのでオハイオさんと呼ぶことにする。オハイオさんは最近ご主人を交通事故で突然に亡くされ、淋しい思いをされているので、シカゴの同じ教会の友人がご主人のメモリアル・サービスをやってあげた。ご主人、オハイオさんの人徳のいたすところでしょう、百人近くの人たちが出席した素晴らしいメモリアル・サービスだった。Hirokoも出席させていただいた。奥さん、子供たち、兄弟、友人の追悼の辞があり、オハイオさんのご主人のこともいろいろ知る機会となり、また一段と近しい人となった。オハイオさんのところには去年の五月にお邪魔していろいろもてなしていただいた思い出がある。

メモリアル・サービスのあと二、三日してHirokoたちの家にも泊まってくださることになり、「朋、遠方より来る」、オハイオさんと夜が更けるのも忘れ語り合い、良いときが持てて感謝。

オハイオさんに休んでいただく部屋を準備。片側にコンピューターがあってちょっと狭くなってしまったけど喜んでくださった。寒いくらいの日だったので狭い部屋でもどうにかよく眠っていただけたらしい。
10 10-02 Ohio 1 10 10-02 Ohio 2

オハイオさんは忙しくいろいろプランがあったけれども、初穂会の人たちと一夕、日本料理店「レンガ亭」で食事ができた。そのときの写真いろいろ。写真がぶれてしまってよく撮れてなくて残念。
初穂会と言っても皆さん夜になると運転したくない人が多く、集まったのは先生ともども5人だけだった。
10 10-02 Ohio 4
先生が召し上がったイカのバーベーキュー
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女性軍全員のちらす寿司
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水曜日の夕食だったのでレストランもあまり混んでなくて、5時から7時半までたくさんおしゃべりができた。オハイオさんのご主人がCraftsmanとしていろいろ作られたものでパテントがあるものがあり、先生は感心されたと仰った。オハイオさんは、ご主人が亡くなったときのこともいろいろ話してくださり、ご主人を大事にしてねと話を締めくくってくださった。このグループの人たちの中で、いつもはあまり話さない人が、初穂会に加えていただき本当に感謝ですとの話から、どんな経緯でシカゴに来るようになったのか。即ち、ご主人との出会いからの話にもなって、シカゴと日本との手紙のやり取りが縁を作ったとのことなど初耳の話もした。その他先生の奥さんのVisaの件、先生の骨折の件、日本行きが一週間後に控えている人の話などなど、時間はあっという間に経ってしまった。

次の日、木曜日は忙しく、オハイオさんは一日お出かけだった。ベッドの周りにたくさん荷物があるでしょう。
10 10-02 Ohio 7

金曜日のお昼もオハイオさんはお友達のところに。
午後はミツワに行きたいということになり、Hirokoも一緒にショッピングに行かせてもらった。ミツワの中の写真二枚。梅干が5ドル50セントだった。家に帰ってよーーーく見たらMade in Chinaだった。今晩はオハイオさんはHirokoのところで夕食。スメルトを買おう。金曜日なのでお肉なしで魚スメルトとシシ唐の天ぷら、おからのパティー、人参と大根とカリフラワーの漬物、味噌汁、もっと何かあったかな。忘れちゃった。
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お食事のあと、お友達に素晴らしい絵を貰ったとかで大事に、大事にパッキングしているオハイオさん。
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土曜日の朝は教会のお掃除があったので、食器だけ出してあとは一人で食べてもらった。遠慮しないで何でも食べてくれたかな。朝食のあと散歩かてら近所をいろいろ見て回ったとか。この近所はシカゴでも三番目くらいにトレンドな街なのでよかった。
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教会から帰ってきたら綺麗にベッドがばらばらにされてあった。
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昼食に海鮮ラーメン。シーフード・ミックスをミツワで見つけられて良かった。そして麺はパスタに使うエンジェル・ヘアー。美味しいって言ってくださって感謝。オハイオさんの教会のお昼のお食事のレパートリーに入れようっても言ってくださった。
家に帰ると一人になり、TVを見て一人でお食事、淋しいなって言っていたこと思いだし、一人で自分の分だけのお食事作りも余計に悲しくなるなあと思って、Hirokoのお得意のスパムむすびを作ってあげた。
10 10-02 Ohio 13
帰っちゃった。
旦さんがMidway Airportまで送って行ってくれた。雨になってしまったけど無事送り届けて旦さんは帰って来た。

聖書の中の旅人、人をもてなす話を続きに書くので読んでくださいね。コメントもお願いね。
プロフィール

Tsukasa Hiroko

Author:Tsukasa Hiroko
初めの家は塵でできており、砂の上に建っていました。
四十年前にシカゴで木の家を岩の上に建てさせていただきました。
今はレンガの家が岩の上に建つようにしていただいたようです。
金の家になれる日を望んでいます。

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