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雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ち付けても、倒れることはない。岩を土台としているからである。

愛されている光子

愛されている光子 10 イエスの声III

「光子さん、どうだね。グレースとリンダはいるかね。」
「ああ、パパ。もう教会のお掃除は済んだんですか。」イエスを愛し、教会を愛しているパパとママは、毎土曜日、朝早くから教会のお掃除のボランティアをしていた。
「さっき、帰って来て、今、ランチも終わったとこだよ。」
「ああ、そうですか。私たちも、今食べたところです。グレースもリンダもフロントで、テレビ見てますよ。」
「おお、そうかい。ところでな、光子さん。」
「はい、何でしょう。」
「子供たちが喜ぶかどうか分からないんだけどね。わしが働いている会社の五十周年記念会があるんだよ。家族がみんな招待されたんだ。ママは行かないから、あんたと子供たちはどうかと思ってね。行ってくれるかい。」
「そうですか。面白そうですね。いつなんですか。パパの会社に行くんですか。」
「そう。来週の土曜日のお昼ごろでね。だから来週の土曜日の教会のお掃除は、金曜日の夕方に正人に手伝ってもらって終わらせたいんだよ。」
「そうですか。それで何があるんですか。」
「わしの働いている工場に行って、いろいろな種類のテープレコーダーなどあるから、それで遊んでもいいんだよ。その他にもいろんな新しいエレクトロニックの製品があるよ。それにランチボックス、ドリンクやケーキ、クッキーなどもくれるそうだよ。」
「そうですか。子供たちと私は行きますよ。」
「そうかい、行ってくれるかい。正人は行かないだろうけど、お掃除のこともあるし、話しておこう。グレースにもリンダにも知らせたいし...」などと言いながら、パパはフロントへと入って行った。光子も昼食のあと片付けを終わらせてフロントにい行った。丁度、パパが子供たちに話したとこだったらしく、子供たちは、「グランパー、行くよ。」「私も行くよ」と言って大喜びしていた。

それから一週間、テープレコーダーの使い方を教えながら、話声や歌声を吹き込んだり、聞いたりした。丁度、よいチャンスだったので山形のグランマーに声のテープの手紙を作ったりした。子供たちはテープレコーダーが操作できるようになって大喜びだった。

土曜日になってパパの働いている3Mの工場に出かけた。3Mでは最新のテープレコーダーなども沢山あって、子供たちは声を入れたり、聞いたりして楽しんだ。美味しいランチとスナックも頂いた。

光子は一つとても珍しいものを見せてもらって、忘れられなくなった。それは音は高く大きくなると、人の耳では聞こえなくなることをはじめて知って、その小さな機械を何回も何回も回して納得した。そして考えた。神の声も大きくて人には聞こえないと新約聖書の中にも書いてある。神が天から語りかけたが、人々は、「雷がなったのだ」「御使いが話しかけたのだ」と記されている。そのように神の声は大きくて人の耳では聞き取れないということを証明している機械をみて、光子は感心した。

家に帰ってからも、その機械のことが頭から離れず、考えたり、正人に話したりして確かめていた。そしてあるときフト思った。光子は今まで二度聞いたあの声ははっきりと聞こえた。はっきりとした、もの静かな、丸く、柔らかい声だった。神の第一格である天の父なる神の声は、あの機械が示していた、高い、大きな声の音で、人の耳では聞こえないのだ。では光子が聞いた声は、神の第二格である、神で人となった子なる神イエス・キリストが語りかけてくださったのだと確信した。きっと、そうだ。

イエス・キリストを信じていないときに、光子は二度、その声を聞いた。あの声は絶対にイエスの声だった。サタンや悪霊の声ではなかった。あの声を聞くと心が和み、何か暖かいものが体中を流れるのを感じたのだから。何よりもイエスの声であることを証明しているのは、光子がキリスト教で言われる「罪」について考え、分からなくて、本を読んだり、体験してみようかと思ったりしたときに、イエスは語りかけてくださったのだ。その声は、左の耳に聞こえた。日本で話してくれた。「罪とは、神の意志に反して小指一本動かしても、動かさなくても罪なのだ」と。光子は、それで罪の問題が解決した訳ではなかったが、反発する気持ちは起きなかった。でもそのことによって光子の人生が変わることもなかった。

二回目の声を聞いて、光子の人生は変わった。光子はキリスト教で一番大切なこと、イエスのよみがえりは確かだったと確信できたのだ。イエスは、神であり、人であって、十字架にかかって死に、三日目に蘇ったという、イエスの福音を信じられるに至ったのだった。二番目の声も左の耳に聞こえた。シカゴに来て半年ほど経ったときで、親、妹、弟、友人知人から離れ、その寂しさにどうしようもなくなったとき、イエスは、「光子。光子。私はここにいるよ」と仰ってくださったのだ。

このように光子の疑問に答え、光子を救いに導いてくださった声が、サタンや悪霊の声である筈がない。イエスを心に迎え入れ、洗礼式のとき、これら二つの声のことについて証し、導かれてキリスト者となったと語った。それを聞いた教会の人たちは、自分も神の声が聞こえるなら、もっと、もっと良い信者になれるし、イエスのためにもよい奉仕ができるのにと言った人たちがいた。教会に来ていない、キリスト者でない人たちは、自分もそのように神が語りかけてくれるのなら、直ぐにクリスチャンになると言った。光子は、それら二組の人たちが、イエスの声について意見を言ったのを聞いてからは、イエスの声が聞こえたことを証しないようにした。ダラス神学校の教授の一人だった方が、「神の声が聞こえることにびっくりする」という本を書いているように、世の中の人たちは、神の声が聞こえたりすることには、半信半疑なのだろう。また、何故ある特定の人だけで、自分には起こらないのかと言っている。

神の声が聞こえるというのは、そんなに簡単なことではないのを光子は経験した。責任が伴うし、その声に服従し、聞いたことを行うという重要な課題があるのだ。

キリスト者になって三年目の夏の修養会で、光子は、神からの賜物について学んだ。その中の一つに宣教の賜物があった。光子はその宣教の賜物が欲しいと神に願った。賜物というのは願うものではないらしいし、また宣教の賜物なんて大変な賜物であるのだが、知らなかったのでそんなことを頼んでしまったのだ。でも宣教の賜物がもらえたら、日本にいる多くの友人知人、北海道、山形、広島にいる親類縁者にイエスのことを語れると、単純に考えたのだ。

宣教の賜物のことをお願いしたのが八月、同じ年の十一月に、神は光子のその願いに答えてくださったのだ。でも光子にはそれはテストだと思えた。それが起こったのは十一月のはじめの暖かな日だった。三度目のイエスの声を聞いたのだ。十一月のシカゴでは珍しい暖かい、風のない日だった。外に出られる日もだんだん少なくなるのだから、暖かい良いお天気の日を楽しむため外で遊ぼうと、リンダを連れて近くの公園に行った。午前中だったが、子供たちが沢山来ていた。リンダはブランコが嫌いなので滑り台で遊んだ。大きな滑り台ではリンダ一人で滑るのは無理なので側についていた。そこに白人の女の人と女の子が同じ滑り台で遊んでいた。
「ハロー、ナイス ディー!」と声をかけられた。
「イエス、イト イズ」と光子は答えて、リンダを追った。リンダは砂場に行き、そこで遊びはじめた。光子は砂場の近くのベンチに座ってリンダを見ていた。すると、また、あの声が聞こえたのだ。「光子、あの女の人のところに行き、私のことを語れ」と言った。光子はびっくりして辺りを見回すと、遊園地にいた沢山の子供たちはいなくなっていた。さっきまでリンダが滑っていた滑り台の側のベンチにさっきの白人の女の人が、まだ座っていた。さっきはリンダを見ていたので光子はその人を見なかった。今度はその人をよくみた。光子より若そうな人だった。連れている子はリンダよりも少し大きく、一人でその大きな滑り台で滑っていた。光子が、「えっ、どうするの!?」と恐ろしさと驚きで変な声を出した。するとその声はもう一度、同じことを言った。「あっちまで行って、何と言い出そう。イエス様、この声はあなたですか。それならあの女の人をここのベンチに連れてきてください。そしたらできるかもしれません」と光子は考えながら言った。光子は何も起こりはしない。あの女の子は楽しそうにあの滑り台で遊んでいるからと思った。どうしたんだろう。楽しく遊んでいた女の子がリンダの遊んでいる砂場目掛けて走って来たではないか。子供は来ても、あの女の人はあそこにいるだろうなどと思っている光子に、大間違いだよと言わんばかりに、その女の人は立ち上がり、光子のベンチに向かって歩いて来た。光子の足はガクガク震え、心臓はトントンと早く打ちはじめた。何と言おうと考えたが、光子の口から出た言葉は、「リンダ、おうちに帰りましょう」だった。そして「神様。あの人は白人です。英語ではあなたのことは語れません。帰ります」と言って、リンダの手を引いて、家に逃げるようにして帰ってきてしまった。

家に帰って、どうやってリンダの面倒をみたのか。グレースも毎日お昼を食べに帰って来るのだから、グレースにもランチも食べさせた筈。でも気がついたらリンダはお昼寝。グレースは学校へ行ったのだろう、家の中はしーーーんとしていた。光子は、そこで頭を抱え、何を考えればいいのか、思えばいいのか、恐ろしかった。どっしりとした重い、重い大きな石が胸の中にどっかりと置かれていた。イエスが語りかけ、話すようにと言ったのに、光子はそれをしなかったのだ。これは罪だ。神がするように言ったことをしなかったのだから。

あの人がクリスチャンじゃなくて、午後に事故にあって死んでしまうから、イエスは救いのことを語れと言ったのだろうなどと想像した。そしてそれが本当ならどうしよう。イエスのいる天国には行かれない。いや、もしかしたら病気なのかもしれない。だから神は語れと言ったのだ。それなのに、それなのに。どうなるのかと、考えれば、考えるほど恐ろしさが増すばかりだった。次から、次にとマイナスの考えが浮かび、心はますます暗くなるばかりだった。

何もできないでいるうちにリンダは昼寝から起き、グレースも学校から帰って来た。グレースとリンダにおやつをあげたり、グレースにホームワークをさせたり、そのうち夕食の支度をしなければならない時間になったりして、考えることは中断された。
夕食のあと、あの遊園地の広場で子供たちのためのいろいろな乗り物が設置され、食べ物が売られたりして、楽しい集まりの場ができるとグレースが聞いてきて、行きたがった。夕食のあと、光子は子供たちを連れてそこに行った。その遊園地にあの女の人が子供を連れて来ていた。でも光子は、とうとう何もその人に言うことはできなかった。その人の健康、そしてイエスのことを知ることができ、救いに導かれるようにと、祈るより他なかった。

このことがあってから、光子はますます宣教に励んだ。自分にはできる筈だと、何かを証するために、自分で考えては一生懸命に働いた。幸い信仰の友、恵(ケイ)は宣教の賜物があるのだろう。だれにでも直ぐにイエスのことを語っていた。
「光子、今日は教会から西の方にいる三、四人の日本から来た人たちのところに行こう」と誘ってくれたりした。光子は喜んで恵と一緒に宣教に出かけた。一人でも多くの人たちにイエスのことを語れば、光子のあの失敗、いや罪が許されるかもしれないと思ったりした。恵はそんな光子を見て、
「イエスの良いおとずれをかたるのは愛をもってしないと失敗するからね」とよく言っていた。恵はどうやって「今日、訪ねる人たち」を決めるのか知りたかったので聞いてみた。恵は、
「光子にはイエスを知らないあの人、この人の顔が目に浮かばないの。その人たちのためにいつも祈っていると、今日はこの人のところがいいと、声にならない声が聞こえてくるんだよ」と言った。神とともに、愛をもって宣教しなければ、宣教にはならない。聖霊の働きがなければイエスを神と認めることはできないんだし、神だけが人をクリスチャンにできるのだからと恵はよく言っていた。

また、罪の償いのためにというように、光子が一生懸命やったことのもう一つは、日曜学校で教えることだった。何でも引き受けてよく働いた。英語の歌も一生懸命習い、聖書もよく読んだ。でも一つ日曜学校で教えるのに重大なマイナスがあった。それは子供たちがそんな風に一生懸命やる光子についてこないのだ。光子が教えたクラスは幼稚園の子供たちだった。まだまだ一人でクラスに来るのが怖いし、ママ、ママとよく泣いたりした。そのような子供たちが光子の顔を見ると泣くのだから、先生はやっていられなくなった。それでも光子は働きたいと思い、その小さい子たちのクラスは辞めて、別なクラスをもったりした。でもそのクラスで教えた子供たちの何パーセントが、教会を離れないで、キリスト者生活を送っているだろうか。

こんな状態の光子には、聖書の中に二、三箇所読むのが恐ろしく、苦痛の箇所があった。聖書は、神が書かれたものなのだから、聖書から神の声を聞くのが一番だった。聖書を読み、学ぶことは重要なのだし、そこから、神の声を聞き、神の愛と恵みを受け取れなければならないのに、聖書の中のある箇所を読んでいると、苦しく、意気消沈し、考えがマイナスになってしまう自分が悲しかった。

その一つは、陶器師と陶器の話で、陶器師は粘土をこねて作り、良くできなかったものは壊し、自分の意のままに別のものを作るという箇所である。主なる神はその例えをもってご自分の主権を語られ、罪あるものは意のままに滅ぼすと仰る(エレミヤ書18章)。その箇所を読んで、人々は、普通、大いなる愛の神を讃美できるのだそうだ。光子には考えられないことだった。光子は、神の言われたことをしなかったのだから。イエスは、神の意に反して、小指一本動かしても、動かさなくても、それが罪だと仰ったのだから。いつ光子を出来損ないとして、陶器師がするように壊し、滅ぼされるかもしれないのだと考えると、とても恐ろしかった。

こんなことで、光子の心はいつも恐れ、苦しみで満ちており、いつも俯いて歩いていた。近所に歌の先生がいて、その人は俯いて歩いている光子を見て、
「そんな俯いて歩いていると声帯がつぶれて歌がうたえなくなるよ。神を讃美できなくなってもいいのかい」などと悲しいことを言った。

このように心が暗く、重い荷を背負っている母親に育てられる子供たちは可哀そうだった。何か楽しいことをして遊ぼうと、「ママ、このゲーム一緒にしようよ。ママがリンダを見てやって」と、グレースはゲームをしたがった。言葉のゲームなどはすれば光子のためにもなるとは思うのだけど、何だかそのように遊んだりしていられないような、そんな楽しみをもってはいけないような、さらなる罪になるのではないかなどと考えると、子供たちとでさえ一緒に楽しんだりしていられなかった。罪に恐れ、罪にうずもれて苦しんでいた。

こんな状態のとき、日本から悲しいニュースがあい続いて入った。第二次大戦のときに東京にいた子供たちは疎開をさせられた。光子はお母さんの里、北海道のお祖母さんのところに疎開していた。そのときお世話になった伯父さんが亡くなったとの通知を受けたのがお正月も済んだ頃だった。伯父さんは苦しまず、寝ていながら死んだらしく、朝起きてこないので見に行ったら亡くなっていたとのことだった。伯父さんが苦しまないで亡くなったことが光子の心を少し安らかにした。そして横浜に住んでいた光子のお父さんの同窓生だった方で、光子は大変お世話になった方が亡くなったとの知らせがあり、その方の奥さんが会いたがっていると言われたが、どうしようもなかった。アメリカに船出する前日に円覚寺にも連れて行ってくれた方だった。そしてお母さんの死。光子は孤児になってしまったと思った。この人たちはイエスを知らないで死んでいったのだ。
それに続いて、大学のキリスト教概論を教えてくださった雅歌教授。教授とはキリスト者として、聖書のことを話し合った記憶はなかった。いろいろ聞きたいことがあったのにと、とても驚いたし、悲しかった。教授の死の知らせとともに、「想い出」集を出版するので何か書いてくれと言われたときは、教授の死が心に中でまだまだ確実になっていないときだったので、光子は「私の心の中では、教授はまだ亡くなっていない。想い出など、書くことはできない」と、怒りとともに書いた手紙は、頼んできたその人の心を傷つけてしまったと聞いた。その方も亡くなってしまった。

このときから一年余り、光子は聖書も読めず、祈ることなど思いもつかなかった。愛の神はいないのではないか。愛の神はいても、光子のように「しなさい」と言われたことをしないで逃げ出したものは、陶器師の手の中の粘土のように、いつかは握りつぶされ、捨てられるのだと思っていた。イエスは恵みに満ちていると言われるが、光子が一生懸命働いても何も言ってくれなかった。こんなときこそ神からの語りかけが必要なのに、神は何も語ってくれなかった。神の言葉である聖書は読めず、祈れず、イエスの声は聞こえず、光子は暗黒の日々を送るようになっていた。
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光子はこのような状態の中でも、妻、母親としての責任は果たしたいと、いつも食事には気をつけていた。揚げ物は良く食べてくれるので、魚は殆ど揚げていた。
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生活

ハンドメイド・プレゼント

今年もクリスマス・プレゼントを考えるときになり、11月から殆ど毎日写真のようなブランケットを作った。40インチというと1メートル強の四角のひざ掛け。今年のシカゴは寒いので喜んでもらえるかと思う。
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本当に母に感謝している。編み物は二、三年生くらいから教えてもらったから。貧乏とは言わないけど、新しいもの、欲しいものを年中買ってもらえるような生活ではなかった。でも母は毎年、春と秋の遠足になると、古くて小さくなったセーターをほどいて、ひじのところを弱っている毛糸は背中に、そして背中だった毛糸は袖に。いつも新しいようなセーターを着せてもらっているようだった。

でもそんなとき、母は、「セーターは作ってあげるけど、お揃いの靴下が欲しかったら、自分で編みなさい」と言った。そして毛糸を渡されたHirokoはどうしても靴下を作らなければならなかった。でも新しくなったセーターとお揃いの靴下を履いて、遠足に行けるのは本当に嬉しかった。

5年生になって北海道に疎開したときは必要に迫られて手袋、靴下を作った。あのころ毛糸などなくて、お祖母さんが古い着物を長く裂いてくれて、それで編んだものだった。あの手袋も暖かかった。

それに神はきっとHirokoに手芸の賜物をくださったと、いつも感謝している。新しい年、この手芸の賜物を生かして、子供たちに手芸を教えてあげようと思ってる。自分で考案した絵図をアップリケしてクッション、折り紙でモービルや金魚鉢を父の日のプレゼントに、母の日には針刺し、紙の花、クリスマスには天使、クリスマス・ツリーとオーナメントなどを考えている。それにクッキー、ピザ作りもするつもり。きっと楽しいでしょう。子供も楽しんでくれるといいけどね。
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もう一つのプレゼント
コンピューターを使っていると指先が冷たくてね。それに人差し指の第一関節に神経痛のコブがあって、冷たいとそれが痛いの。それで指先のない手袋を作ったの。とっても暖かいので、手が冷たいといっているお友達にも作ってあげた。
12-23 no finger glove 12-23 no finger 3
12-23 no finger 2
あと二日でクリスマス。みんながどんな顔するか。使ってくれるといいけどね。

クリスチャンの生活

2010年12月14日 レジャー・グループ

今日はレジャー・グループの集まりの日。今の世の中、レジャーを楽しめるのはシニア。そう、別名シニア・グループかな。でも1時間半も聖書の学びをするのだから。

聖書の学びをしている人たち。
Dec 14 - 1 
Dec 14 - 2 Dec 14 - 3
今、レジャー・グループでは世の終わりの予言の勉強をしている。将来、何かが起ることを学べるのは面白い。今日の勉強が始まる前に、牧師から次のような注意があった。「多くの人たちが予言を学ぶのを面白半分、また知識を求めてだけの学びで終わってしまう。でも予言、黙示を学ぶのは今の生活をよくするために学ぶのでなければならない。じゃ、今の生活をよくするとは何か。」「イエスが再び来るのだから、イエスに会う準備をする。」「どんな準備をするのか。」「イエスの教え、互いに愛し合いなさいを実行する。」「そう、今の生活をよくために予言を学ぶことを忘れないで、今日の勉強をはじめましょう。」聖書の中の予言に関することを読むのはとっても興味があるが、本当に興味半分で予言を学ばないように注意しなければ。

聖書の勉強のあと30分程はエクササイズ。そのあとクリスマスも近いこの日、チャイニーズを注文して昼食にした。去年もこのチャイニーズを注文して食べたのを思い出した。あのときはミックさんがいて注文したチャイニーズを旦さんと一緒に取りに行ってくれたなあ。そういえばあのチャイニーズ屋さんで、ミックさん、太郎君と三人で試し食いをしたっけね。そうそう、それに今日12月14日は太郎君が日本に帰った日だった。

今年はミックさんがいないので旦さんと一緒に注文したチャイニーズをとりに行った。「十二皿もあるんだからチャーリーにも行ってもらおうよ。」「去年はミックさんと二人で持ってきたんだから大丈夫だよ。」「だってミックさんは若いのよ。」「重たいか。」など言って旦さんと二人で持ってきた。重かった。
Dec 14 - 4 Dec 14 - 6
お腹が空いていて、チャイニーズの写真撮ると忘れちゃった。
注文したのは、
8本のEgg Rollー16人いたのだけど、半分づつにしたので8本だけ
二皿づつ、Chicken Lo Mein, Sweet and Sour Pork, Bean Curd Home Style, Chicken with Vegetables, Roast Pork with Broccoli, Beef with Snow Pea Pod

みんな美味しいってよく食べてくれてよかった。ミックさん、このチャイニーズ美味しかったよね。

去年、このお店に注文する前に、Micさんと太郎君とHirokoで味見をしたときの写真。
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ミシガン通りでと、ウイリス(前のシーアス)タワーの写真もついでに載せちゃった
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Bean Curd豆腐の厚揚げがいろいろな野菜と一緒に煮てあって、これは全部なくなちゃった。豆腐は健康にいいというので皆さんの大好物。豆腐ヌードルのレシピを続きに書くので読んでくださいね。
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交わり

旧日本語クラスの人たちと

Hirokoは15、6年前まであちこちで日本語を教えていた。最後まで20年近く教えていたクラスの人たちとは、今でも一年に一、二度集まって楽しいおしゃべりに時を過ごす。

平均年齢78、9歳になる人たちが集まって必ず話題になるのが健康のこと。今回も「どうしてる?」「元気?」からはじまって、あれこれと健康に関するニュースの交換をし合った。でも最後の落ち着くところは運動をしなければねということになる。みんなよく運動をしている。歩行は勿論、ライン・ダンス、自転車、Sr. Citizen Centerのプログラムで太一、スロー・エクササイズ、筋肉運動など、お金をかけないで健康管理をしているのは感心、感心。

今回集まったのは九人だった。このクラスで亡くなった人が五人もいるのは残念。心臓麻痺、癌、糖尿病などだった。それらの人たちのことも一時思い出して話し合った。耳が聞こえなくなってトンチンカンな応答をするのが嫌だと言って出席しなかった人もいて、みな老いを感じた。みんな趣味をもってあれこれと忙しく前向きに、引退しても大切なことを見極めて生活しようと笑いあった。このクラスではよくみんな笑うので気分がよくなる。

集まった面々
12-2 J-Class Party 4 12-2 J-Class Party 5
12-2 J-Class Party 6

このクラスの人たちはみんあクリスチャンだが、カトリック、メソジスト、長老派、組合教会、独立派とそれぞれ異なる宗派の人たちの集まりだ。でもイエスの愛の教えに基づいてだろうか、いつもみんな和気藹々と本当に楽しい集まりになる。

父なる神の愛がその子なる神イエスをこの世に送り、人の罪の許しのために十字架にかかり、神へのなだめとなって、愛と恵みを示してくださった。そのイエスを救い主と信じたとき、はじめて真の愛がわかり、その愛をもって交わると人は平安と喜びのうちに楽しい交わりができる。

何と素晴らしいことか。イエスのみ名が崇められるように。
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この集まりでは、いつもSelf-Serving手巻き寿司でランチョンをする。その写真とレシピを続きに書くのでみてください。
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シカゴあれこれ

シカゴの街のクリスマス

はじめは、シカゴで有名なデパート”Macy’s”の七階にあるウォルナッツ・グローブというレスランの中にあるクリスマス・ツリー。このツリーはゴージャスで、金、銀、光で輝いていた
Tree 01
売り場も光に輝くクリスマスの飾りつけがぎらぎらと輝いていた
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その一角にサンタに手紙を出そうと、ポストもあり、手紙を書くテーブルもあった。
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次は市庁の前庭にあるツリー。メーシーズ・デパートのとは比べものにならないツリーだった。でもゴージャスさはなかったが、色とりどりの電球がついているだけで、古き良き時代のツリーを思わせ懐かしかった。
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写真を撮りに行った日、そこではGerman Fesitableがあって、いろいろ珍しいお店が出ていた。その中で暖かいスパイス・ワインが可愛い靴に入れて売っているお店があったので、寒かったし、買って飲んだ。美味しかった。これがその可愛い靴のカップ。
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これはState州庁ビルの中にあったツリー。市庁のより少しゴージャスだった。
Tree 3-1

市庁の庭で飲んだワインが空腹にとても効いちゃったので、シカゴ市にある一番大きいマクドナルドでフレンチ・フライを食べた。去年、太郎君を連れて来れなかったところ。
McD 1 McD 2
マクドナルドのあと、その近くにある娘の家へターキーの骨を貰いに行った。感謝祭のとき持って帰るのを忘れたので丁度良いチャンスだった。

シカゴのミシガン通りというと、ニューヨークの5thアベニューに匹敵する街並み。そこの枯れ木に花ならぬ小さい電球の光が飾られ、輝いていた。
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シカゴ火事で焼けなかったビルの一つなので古い建物。
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その側にある公園で、ツリーはなかったが美しい光の棚があった。
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シカゴでは三番目に高いジョン・ヘンコック・センター・ビル前にあったツリー
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シカゴの街の中のクリスマス・ツリーの写真を撮りながら思ったことを続きに書くのでお読みください。
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シカゴあれこれ

シカゴの初雪

12月1日。シカゴに初雪が降った。ガレージの屋根の上にうっすらと積もっている雪が見えるでしょう。そのくらいで道路には全然積もらなかった。
Snow 1
雪でけむっている景色。
Snow 2
寒い、寒い一日だった。

でも今週末、12月4日から5日の日曜日にかけて2インチから4インチ雪が降るとの予報だし、日中の温度も零下十度まで下がるそうだ。シカゴの冬がとうとうやってきた。

日々寒くなるばかり、皆さん、どうぞお体にお気をつけくださいね。こんなときは日本の鍋物、スープが一番。
プロフィール

Tsukasa Hiroko

Author:Tsukasa Hiroko
初めの家は塵でできており、砂の上に建っていました。
四十年前にシカゴで木の家を岩の上に建てさせていただきました。
今はレンガの家が岩の上に建つようにしていただいたようです。
金の家になれる日を望んでいます。

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