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雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ち付けても、倒れることはない。岩を土台としているからである。

生活

白内障の手術

Hirokoは10月1日に白内障の手術をすることにした。Hirokoの目はここ3,4年本当に悪くて、虫眼鏡を使わなければ見えないものが一杯ある。辞書、聖書、讃美歌、料理の本などなど、ときにはコンピューターまで虫眼鏡を使って読んだりしている。この虫眼鏡、旦さんのお父さんが使っていたもので、あの頃はグランパーが虫眼鏡を使うと言って笑っていたりしたものだけど、本当に助かっている。2年前、いや3年になるかな。メガネを造ったとき、これ以上度を高くすることは白内障があるためできないと言われた。それでとうとう手術をすることにした。

多くの人が、白内障の手術くらい簡単なものはなくて、手術は30、40分で終わってしまって、そのあとは不思議なくらいよく見えるようになり、人生が変わってしまうようだという。手術が人生を変えることなんてできないよね。

手術は簡単かもしれないが、手術前の準備と手術後の手当てが大変。大体、手術前に三回もお医者さんを訪ねなければならない。お医者さんに行くのが嫌いなHirokoには大苦痛。

眼科医のはじめの訪問(8月28日)では、完全な目の検査があり、そのあと眼科医と5、6分手術をすべきかどうかの検討をした。Hirokoは手術をすることに決めて行ったのであまり検討することもなかった。ただ、医者が眼科医の学会では今二つの意見があり、白内障が熟れてからか、熟れなくても手術をするかという意見があるとの説明があったが、それはもう既に別の人たちと検討済みだし、その眼科医も手術するなら今が良いときでしょうとのことで簡単に終わった。ただ新しいレンズに乱視のレンズを入れるかどうか、考えておいて欲しいと言われた。

そのあと手術のコーディネーターと会い、手術のスケジュールなどを決めた。
これがHirokoのスケジュールで、アポイントの日。

9月22日、内科医を尋ねて健康診断をすること。
同日、同じビルにいる眼科医で、目のサイズを測ること。
10月1日、左の目のほうが悪いとのことで、左の目の手術
10月2日、手術の次の日に検眼
10月8日、手術後一週間の検眼
10月15日、一回目の手術の二週間あと、右の目の手術
10月16日、手術一日目の検眼
10月22日、手術一日目の検眼

教会にいる検眼医師が、白内障の手術をするときは冬などじゃないほうがいいと言った意味がよく分かった。シカゴの冬はいつ大雪となるか、零下30度の寒さになるか分からないので、手術後のアポが守れなくなる恐れがある。秋の良いお天気のときでよかった。

他に大変なのは目薬を入れることだそうだ。今まだ目薬を入れる時間などをよく見ていないので細かいことは書けないが、三種類の違った目薬を買わなければならず、その目薬を手術の前の日から入れはじめるように言われている。明日にでもその計画表をよーーーく見ることにする。

9月29日付けで、体のほうの診断は全て終わり、手術しても大丈夫と眼科医のほうに報告されている。もう一つ、Hirokoだけの問題なのだけど、便秘が問題になるのだそうだ。いきばってはいけないのだそうだ。それで今、アメリカでは便秘に良いと言われているプラムの実を食べたり、そのジュースののんだり、あげくのはては便を柔らかくする薬を飲んだりしているが全然効きめなし。いきばらなければ出ないよね。まあ、何とかなるか。

でも何はともあれ旦さんはじめいろいろな人がお祈りしていてくだあるから大丈夫でしょう。主よ、感謝です。よろしくお願いします。

二度目に眼科医と会ったとき、考えてくるようにと言われていた新しいレンズをどうするかということを話し合ってびっくりしたこと。
三種類のレンズ
• Monofocal Lens(何も入っていないレンズ) – 遠くがよく見えるようになる。その上、このレンズは保険、メディケア(老人用医療費保険)でカバーされる。眼がねはかけなければならない
• Astigmatism-Correcting Monofoal Lens(乱視矯正のレンズを入れる)遠くが良く見えるようになり、眼がねはいらなくなるだろうが、老眼鏡眼がねなどは必要だろう。このレンズの値段は片方が1,100ドル、両目で2,200ドル(約22万円)保険、メディケアでは払ってくれない。
• True performance at all distances, near through distance(遠くも近くも良く見えるようになる完全といえるようなレンズ)眼がねは全然必要がなくなる。但し、夜間には光の周りの輪は取れないかもしれないし、夜間の運転などは難しいだろう。これも保険、メディケアでは支払ってくれないので、多額のお金を払うのだろう。
HirokoはMonofocal Lensにした。完全なレンズを入れた二、三の友達に話しを聞いたが、誰もあまり良い返事がなかったこと、またこれはお金ではないといわれるものの、二、三十万余になる金額はちょっと考えさせらたので、一番簡単なレンズにした。眼がねをかけることは気にならないから。

これは手術の前のブログ。手術後、何日したらコンピューターを使っても良いか分からないが、手術のあとの報告もさせていただく。

どうぞお祈りをしていてください。ありがとうございます。
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お客さん、旅人

友、遠方よりきたる

旦さんの弟Tetschanと奥さんのSaerusanが来る
1 1st day 1
ベッドルームの用意が出来た。
1 1st day 2 1 1st day 3
ベッドルームにスーツケースが落ち着いている。でも住人たちは病院へ。

これが第一日目の大問題。びっくり、驚きの一幕。
Tetschanは糖尿病になりかけのところ。その人が朝早く、8時に飛行場で朝ご飯を食べただけで、4時半まで何も食べてなかった。どこの航空会社も国内の飛行では何の食事も出してくれないこの頃、ジュースを一杯飲んだだけとのこと。早く、早く食事の用意をしなければ。ステーキと鮭を焼くのが一番簡単だし、早くできるでしょう。ところがそのステーキと鮭がTetschanには毒だったんだって。「糖尿病昏睡」に陥ったのだそうだ。そんなことは分からないから、椅子に座っていて徐々に意識がなくなり、Saerusanの言うことに答えられなくなったTetschanをどうしたのとちょっと触ったら反対側に倒れそう。急ぎそのTetschanを支えに立って、支えたら、なんと冷や汗びっしょり。冷や汗かいてるよ。うん、こんなときどうすればいいかちゃんと読んでいたのに、何も考えられないよ。早く、早く救急車を。旦さんは911に電話。救急車がくるのが遅かったこと。Saerusanは冷たいタオルを作って持って来た。Hirokoは何をすればいいのか何も分からない。寝かさないで。そのまま支えてて。はい、はい。。。。やっと、やっと救急車が来た。どどどどって、大きな音を立てて上がってきた音にびっくりしてパット目を開けたTetschan。どうですか。大丈夫ですよ。そうですか。この椅子に乗り換えられますか。はい。すーっと自分動いた。じゃ、救急車の中で。そのあと病院に行きますから。何が必要ですか。そうですね。健康保険証とどんな薬を飲んでいるか。わあ、どんな薬。。。。という訳でTetchanとSaerusanは病院へ。それでも一時間後、ハートアタックでもないし、ストローク脳溢血でもないですね。その他いろいろ調べるために一晩入院してもらいます。ということでTeschanは入院。Saerusanは心配しながら帰って来て、一人で寝た。

次の日の午後には帰って来られて、予定されていたアマンダとスティーブンの家でのピクニックへ。原因は砂糖のレベルが、Hirokoのスティーキと鮭のために下がり過ぎたんだそうた。アメリカの軍隊のスラングでこんな食物のことをSOSというのだそうだ。糖尿病でそんなに長い間食べてなかったときは、オレンジジュースが一番、それじゃなければ飴でもいいそうだ。勉強させていただいた。本当に怖かった。

さて、アマンダとスティーブンの家に。
2 picnic 1-1-1
スティーブンはこのGazeboテントを今日のために借りたそうだ。夜になったら豆電気がついて綺麗だった。ワインの入ったHirokoの目と腕では良い写真が取れなかった。残念、残念!
2 picnic 1-1
この家の女主人、アマンダ
3 food 1-1 3 food 2
3 food 3 3 food 4
このピクニックに用意された食べ物。ホットドック、ハンバーガーをグリルで焼いたのをはじめ、たくさん食べ物があって、食べ過ぎだった。
3 food 5
デザートのケーキいろいろとスイカ
2 picnic 1- 2 picnic 1-2
2 picnic 1-3 2 picnic 1-5
2 picnic 1-4 2 picnic 1-6
2 picnic 1-7 2 picnic 1-8
これらがこのピクニックに来た人たち。Tetschanも、Saerusanも元通りになったらしい。
2 picnic 1-9 2 picnic 1-9-1
この写真は出席者の一部。帰ってしまった人もいたし。それからこの写真を撮ったのは右側の写真の男の子がHirokoの写真機を使って撮ってくれた。有難う、有難う!

一つだけいやな話、でも注意、注意!Tetschanは$90だから言いと言うけど、退院した次の日にTetschanのお財布から$90がなくなっているのが分かった。病院で財布を金庫に入れますかときかれたのにそにに入れずにズボンのポケットに入れておいたんだそうだ。

このあと、シカゴの街の中を見たり、Navy Pierで上海ドランゴンショーを見たり、フィールド博物館、水族館などを見に行き、そこで働いている長いこと会ったことのない知人たちに会ったりもした。イタリアンを食べに行ったし、チャイニーズをご馳走になったりしたのに写真を撮るのを忘れた。そして昔、聖書の勉強を導いてくださった佐藤牧師先生の奥さんがナーシングホームにいるので、そのお見舞いにも行ったりした。忙しい四、五日だった。
4 NavyPier 1
Navy Pierにて

初穂会で
クリスチャンではなかったが、子供たちに聖書の話しを聞かれて教えられなくては困るからと、佐藤敬牧師に導かれて聖書の勉強を30年余続けたグループで、途中からクリスチャンの人たちも加わった。結局、全部の人がキリストに導かれて、クリスチャンになった。年に一度、冴がカリフォルニアから来るとそれを機にみんなで集まり、若かったときに戻り楽しむ。
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佐藤牧師先生
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この写真の左にいるのが、家を開放してくださった女主人。ポーチに綺麗な花、シーズニング用の植物などがあった。
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これらが初穂会のメンバーの一部
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この日は持ち寄りでなく、美味しい日本料理店から取ったお寿司。年を取ったし、余っても困るのでこんなお弁当は大助かり。
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この家の女主人が美味しい日本人が経営するケーキやからのケーキを用意してくれた。いろいろ有難う!
楽しい一日でしたね。また来年、みんなと一緒になれるように願いましょう。

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佐藤牧師先生による聖書の勉強をHirokoなりに解釈したことを続きに書くので、お読みください。
プロフィール

Tsukasa Hiroko

Author:Tsukasa Hiroko
初めの家は塵でできており、砂の上に建っていました。
四十年前にシカゴで木の家を岩の上に建てさせていただきました。
今はレンガの家が岩の上に建つようにしていただいたようです。
金の家になれる日を望んでいます。

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